院長コラム

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Vol.115 2012/12
自分の存在意義

今年も暮れようとしています。本当に色々なことがあった一年でしたね。

時間の速さには本当についていけないです。年齢が上がれば上がるほど早くなるのはほんとですね。年の数が、そのまま時のスピード(年齢速度)と呼んでもいいくらいの速さですね。10年前に開業したころ撮った自分の写真がえらい若いことに驚きます。

自分が何故ここまで苦しみながらも生きていなくてはならないのか?と、よく質問を受けます。本当につらい毎日、神様を恨んだことも何度かあると、口にされる方々が多くおられます。

あなたがそこにいてくれることで安心される方もいることを、どうぞ思い出してください。泥んこでぐちゃぐちゃになっても、あなたがいなくなってしまったら悲しむ方がいることを忘れないでください。

私の患者さんのお一人から素晴らしい言葉をいただきました。

 

たとえ倒れた竹でも

小鳥たちの止まり木に

役立っているではないか

 

皆さん、体を大事にして、本当に良い年をお迎えください。

Vol.114 2012/11
在宅診療の患者さんに検死が必要か?

11月に入って気候の悪化の為か、残念ながら私の在宅診療で診ています患者さんの中にもご逝去される方がこのところ続いています。その方々の中には、やはりご家族が気づいたときには既におかしく、私が呼ばれ診察する前に間髪を入れずに救急車を呼んで総合病院に搬送され、それでもご病状が回復されずお亡くなりになってしまう方もいらっしゃいました。

今日お話ししたいのは、このように急変して総合病院で死亡された時、総合病院で死亡宣告を下した医師が今までの経過がわからないという理由から警察に届け出をしてしまうことと、警察が何故長時間かけて検死をしなければならないかという疑問です。

先日も私が8年近くも在宅診療で診ていた患者さんが、昨日まで比較的お元気でいらっしゃったのに、夕方ご家族の呼びかけに反応が鈍いとのことで、救急車で総合病院に搬送されました。しかし、救急外来到着時には既に心肺停止状態にあり、そこで蘇生術をある程度までやっていただきましたが不幸にもご逝去されてしまいました。問題はそこからです。私がご家族の希望とのことで大森警察からその救急病院に呼ばれ、この8年間の経過を話し、このような急変も、これこれこういう点から考えられたと述べているのに、検死官への連絡で数時間費やし、結局、その晩はご遺体はご家族のもとに還してもらえませんでした。

今月同じような急変、死亡、検死、その結果ご家族のもとになかなかご遺体をかえしてもらえないという件が、私の在宅患者さんだけで3件続きました。救急病院の先生が今まで診ていないので死亡の原因がわからないとおっしゃるのはまだわかります。しかし、そのあと、今まで診ていた長年の主治医が来て、診て診断書を書けばそれでいいのではないかと強く思います。その経過の中に、事件性がみられた場合は別です。何も事件性がなく、どう見てもご病気もしくは老衰によると考えられる場合には、悲しみに暮れているご家族のもとに、今までの主治医の書いた診断書と共に速やかに還してあげることが必要なのではないでしょうか?

もっと現場を見据えた柔軟な対応を警察および法整備をしてくださるはずである関係の方々に望みます。

Vol.113 2012/10
山中教授の受賞に想う

山中教授がノーベル医学賞を受賞された。心からお祝いを申し上げたいと思います。 山中先生の研究された再生医療は、近い未来において、医学・医療の内容を大きく変えるものだと思います。

1993年に私は、大人のパーキンソン病の患者に中絶胎児の脳を移植する手術法を学ぶために、イギリスのバーミンガム大学のER Hitchcock教授のもとに留学しました。この方法により、重度のパーキンソン病の患者さんが手術後半年で、エデインバラからバーミンガムまでの8時間の道のりを、ご自分で車を運転して大学病院の外来まで来られたのには、ほんとに驚き感激しました。しかし、この方法は、中絶とその胎児の脳を大人の脳に移植するという方法であったために、キリスト教のカソリックの方々、またグリーンピースの方々からは問題視され、バーミンガム大学附属病院の手術室が放火されたりで大変でした。おりしも当時日本では、まだ脳移植どころか、脳死の判定(人の死は脳死で決めるのか、心臓の停止で決めるのか)で大きく世論が動いていた時でしたので、残念ながら私が帰国後この方法を日本に広めることは不可能であり涙をのみました。

バーミンガムの研究室でteaをしていた時、パキスタンから来た友人の脳科学者が、興奮しながら一編の論文を持ってきて、一緒に熱く語ったことを覚えています。それはアメリカからの報告で、ネズミの細胞の中に、将来、すべての体の部位に進化する細胞が発見されたというものでした(当時この細胞は、万能細胞stem cellとか前駆細胞precaucer 細胞と呼ばれていました)。我々は倫理上、中絶胎児の脳の移植が問題であるならば、このような万能細胞を使って失われた機能を補う医学ができたらいいな!と話していました。

この論文を報告されたアメリカのグループに山中先生も当時留学されており、まさに今回の受賞のiP細胞につながる論文であったと思います。アメリカの学会で、一度だけですが山中先生と再生医療についてお話ししたことがありました。圧倒されるほどのオーラをお持ちでいらっしゃいました。

20年前、バーミンガムの地で友人たちと熱く語ったあの夢が、今、実現されつつあることに、他人事でない感激を感じるのと共に、山中先生とそのグループの方々の努力に心から敬意を表したいと思います。

 

Vol.112 2012/9/15
さんまの塩焼き

今年の夏は、特に暑さが身に染みました。まだまだ暑い日が続いています。皆さん、健康状態はいかがですか?

毎日の外来診療でも在宅診療でも、私は「今の時期は水分と塩分をとっていいのですよ。」といい続けています。そうすると、必ず「先生、私は血圧が高いので塩分は控えめにといわれていますが・・・・?」という質問を受けます。

暑い暑いといっている間に、私たちの体は昼も夜も汗をかきます。汗の中には塩分が含まれています。正確に言うと、ナトリウムという塩分とカリウムという塩分です。ナトリウムはいわゆる“塩”であり、カリウムは主に果物などに含まれているものです。これだけ暑いとナトリウムもカリウムも汗で抜けきってしまい、私たちの体をつくっている細胞は干からびてしまいます。ですから血圧の高い方も、残暑の候の今頃の2~3週間は、秋に向けて塩分をある程度は摂ってよいのです。(もちろんとりすぎはいけません。血圧を高くしてしまうのはナトリウムです。)

今月は、さんまの塩焼きがおいしい季節ですね。あの油ののりきった香ばしい香りと適度の塩味。醤油と大根おろしとの絶妙なコンビネーション。きっと昔から、人々はさんまの塩焼きを食べると、夏バテをしていた体にも元気が戻ることを知っていたのではないでしょうか。日本の食習慣には、夏の終わりには、さんまを焼いて塩分と栄養をしっかりと摂るという、先人たちの理屈抜きの知恵が備わっていたのですね。

あちこちでさんま祭りの声が聞かれます。

皆さん、今年もさんまを焼いて食べましたか?

Vol.111 2012/8/15
治すための治療と延命治療を間違えないでください!

先日、90歳位超えのご高齢者の在宅診療をしていたところ、この暑さのせいかこのところ食欲がどんどん落ちておられたので、訪問看護ステーションにお願いし、在宅での点滴を始めました。数日後、訪問したところ、ご家族から「こんなに何度も針をさすのはかわいそうだから、もう点滴はしないでください。うちの年寄りには延命治療をしないことにしています。痰を吸う器械も借りたけど、これも延命治療なのでいりません。苦しくないようにだけしていただければいいです。 高熱がでたら抗生物質かなんかで、さげてやってください。」と言われました。

私はご家族のお気持ちはわかりましたが反論しました。悪性の病気で、もう治らないというのに使うつらい抗がん剤とはちがい、脱水を補正すれば元気になれる、笑顔が戻る。食欲が戻る、それがどうして延命療法でしょうか? 延命療法とは、どう治療してもあと数日、あと数か月という命の期限が変えられないことがわかっていても行う治療を言います。また、苦しめないために痰を吸うのではないのですか? 高熱が出ないように、脱水も治さなくてはいけないし、高熱が出たらますます脱水になり、その時だけ抗生剤を使うのはそれこそおかしいのではないですか?と。

以前のコラムでも書きましたが、延命治療と治すための治療は全く意味が異なります。

天寿は誰にでも定められ、それを変えることはできません。その時が来るまで、体と魂の両方とも大切にして治療していくのが、我々に体と、まさにその中に魂を注入してくれた神の意に報いることになります。

在宅介護でお疲れになっておられるご家族のお気持ちはよくわかります。でも少しでも、そのつらさと迷いを減らせるように我々はいます。混乱の中でも、どうか延命治療と治すための治療の違いを間違えないようなさっていただきたいと切に思います。

Vol.110 2012/7/15
自転車の交通安全教室

数日前何かの記事で、「2011年秋に暴走する自転車走行を減らすための法改正が行われ、それ以来、各地で交通安全教室が開かれ、今までに350万人以上が参加した。しかし、その8~9割は学童であった。」という記事を目にしました。

以前からこの院長コラムで、大人の自転車ドライバーのマナーの悪さ、それに伴う事故の危険性・悲惨さを書いてきました。やっと、交通安全教室が再び開かれるようになったことは、素直に良かったと思います。しかし、受講者の8~9割が学童とは。

通常運転していて、危ない!と思うのは、圧倒的にいい大人の乗る自転車です。自転車の前後に子供を乗せながら、平気で狭い路地から飛び出してくる若い母親。子供に愛情を感じているなら何故そんな運転ができるのですか?自殺行為ではありませんか! 狭い道から広い道に出る時は、いったん停車して左右を確認することを小学校で教わっていないのでしょうか? 道路の“右側”を悠然と走ってくる“おじさん”“おばさん”。狭い路地での自転車同士の事故は、この右側通行をしていたら、右からくる左側通行の自転車と出合い頭に衝突するのは当然。何故、“自転車は左側通行をする”ことを忘れているのでしょう? ご高齢者は言うに及ばずの状態です。

先日も在宅診療中に、患者さん宅の窓の外で、キー! ど~ん!と何とも言えない音を耳にしました。ご家族は、あ~!また事故。この交差点はよく飛び出し事故があるんですよ。とおっしゃっていました。私は早速、診療を終了させ外に飛び出してみると、黒タクが停車し、頭から血を流している“おじさん”が目に飛び込んできました。傍にハンドルの曲った自転車が倒れていました。車のドライバーは呆然としていて、私のどうしたのですか?という問いかけに、自転車が飛び出してきて・・・と答えるのがやっとでした。私は周りに集まってきた近隣の人たちと協力し、救急車が来るまで提供されたタオルで止血し、生命反応を確かめ、救急隊に引き継ぎました。

我々の世代、その前後の大人は小学生の頃、学校で交通安全教室があり、お巡りさんが来て、横断歩道の歩き方、自転車の乗り方を習ったはずです。その大人が、自転車の乗り方のルールを忘れているのならば、今始まっている交通安全教室に親も参加させる義務付けくらいをしなければいけないのではないでしょうか。子供は見ています。いくら自分たちが学校での交通安全教室で自転車の乗り方を教えてもらったって、大人は全然守っていないと!

日々の診療で自転車との接触事故による患者さんを診るたびに、また私自身が日々在宅診療で車を運転している時に、危ない!!と感じる毎に、自転車に乗る“いい大人”全員に、もう一度小学校に行って交通安全教室に参加してきなさい!と叫びたくなります。車が全て悪いのではありません。自転車で自殺したいのですか?他人に迷惑をかけないでください!!

Vol.109 2012/6/15
でも病 ネット病

最近外来に訪れる患者さんの中に、「調子が悪くてネットで調べたところ、私は○○病の症状にそっくりで○○病のようです。どうしたらいいでしょうか?薬はなるべく飲みたくありません。」といわれる方が多くみられます。またそのように言われる方に限って、私が「これこれだから○○病ではありませんよ」と申し上げると、「でも!、家に帰るとまた○○病にちがいないと思ってしまいます。きっと私は○○病です。」と言われます。

インターネットが有用な時代となった今、あまりにも情報が溢れすぎています。このところテレビでも健康に関する番組がとても多いように思います。それらを見てしまうと、全てご自分にあてはまってしまうように思えてならないのが人間の常です。氾濫する情報だけからご自分の健康状態を決めつけるのは、やはりよくないのではないでしょうか?

私は常々そうおっしゃる皆さんには、このような状態を、「でも病 ネット病」と言っています。広い意味では、思い込みの病です。ネットやテレビから得た情報だけでご自分を病気であると決め込んでは、もったいないではありませんか! ほとんどの場合、はずれているのに、ご自分でそう判断して、決め込んで、落ち込んで・・・では、限られた人生の時間を無駄に費やしていると言わざるをえません。

色々な情報を、ご自分の症状の参考にするのはいいのですが、少なくとも、我々専門家が、これこれなので○○病ではありませんよ、と申し上げた場合、それ以降はもうネットは見ない、そういうテレビが始まったらチャンネルを変えることをお勧めします。それだけでも思い込みの病は少し減るように思います。

Vol.108 2012/5/15
補完療法と補完代替医療

先日、あるセラピー関係の方とお話をしていた時に、感銘を受けることを伺いました。

今まで、日本でも統合医療(Integrative Medicine)、補完代替医療(CAM: Complementary and Alternative Medicine)という言葉が使われてきました。しかし、現代医療にとって代わる医療を意味する“補完・代替”という領域の医療がが本当にあるのでしょうか?アメリカの統合医療の第一人者である、外科医バリー・R・キャシレス博士は、対談の中で、“いいえ、補完医療(Complementary Medicine)は存在しても代替医療(Alternative Medicine)というものは存在せず、補完医療は現代医療を補助するべきものである”と述べているというのです。そして最近、英国やアメリカでは、“今後は科学的なデータに基づいた補完医療(Evidence Based Complementary Medicine)略してEBCMと呼ぶことが決まった”そうです。

私は自分のクリニックを癒しの森でありたいという願いを込めて開院して以来、一貫して、西洋医学も東洋医学も、またあらゆるセラピーは患者さんを救う限り、全く同等、横一線であるというスタンスできました。医学で埋めきれない部分を色々なセラピーが補ってくれればよいと言ってきました。全く同じ考えが今、海の向こうで広がっていることに驚くと共に感銘を受けたのです。

しかし、今の日本を見ると統合医療や癒しという言葉をむやみに使って、非常にあやしげな●●セラピーなどもたくさんあるように思えてなりません。本当に患者さんを癒してくれる、医療の足りない部分を埋めてくれるセラピーとの区別がつきづらいのも事実です。

我々医療者は、この色々なセラピーに、客観的な検証を加え、科学に基づいた公正な根拠(Evidence)をもつ療法であるか否かを見極める義務があるのではないかと思います。私は、脳の専門家、脳科学者として、当院でも少しずつ色々なセラピーが脳に及ぼす効果の検証をしていきたいと思います。それは結果的に、セラピストの自信と患者さんの安心につながると思います。

Vol.107 2012/4/15
考えない!考えない!考えない!・・・・・ふりかかってくる予期不安への対処法

外来診療の中でとても多い相談は、何をしていても不安が襲ってくる。考えないようにしても、一人になると不安になってしまう。この不安にどう対処したらよいでしょうか?というものです。

6~7年前の院長コラムで、現実不安と予期不安と題するものを書きました。まだ起きていない不安に怯えてエネルギーを使ってしまわず、今 目の前で起きている不安原因の対処にエネルギーを使いましょうというものでした。今回は、特にその予期不安が襲ってきたときどうしたらよいかということについて考えてみたいと思います。

人間は弱いものですから、予期不安を必ず感じてしまいます。これを書いている私自身も、日々、予期不安に襲われています。苦しくて、苦しくて仕方ない時もあります。そんな時、私自身は、「考えない!考えない!考えない!考えない!考えない!考えない!考えない!考えない!考えない!考えない!」と、10回つぶやき続けます。そうすると、今まで心を覆っていた不安が自然に消えていきます。しばらくすると、また「ああなったらどうしよう。こなったらどうしよう」という、予期不安が顔を出してきます。その時はまた、考えない!を10回つぶやきます。また消えます。

人の脳は、体を動かす、物事を感じる・考えるという働きと、もう1つ、ものをしゃべるという働きが備わっています。そしてどうやら声に出してしゃべると、他の二つの働きは抑えられるようです。声に出す、それは脳の大方の働きに優先されるのです。その結果、不安に感じている脳も、それを予期することすら忘れてしまいます。

皆さん、難しそうで簡単です。予期不安につぶされそうになったら、心の中でもよいですから、考えない!を一気に10回つぶやいてみてください。スーとする自分を感じられるはずです。そしてまた苦しくなったら同じことを繰り返す。声に出すこと、それは言霊をも味方につけてくれるはずです。

Vol.106 2012/3/15
父の死  活き水

 父 工藤 至は、凛と澄んだ空のもと、諏訪湖に春の風が渡る、平成24年3月6日の夕刻 武士道に生きた89歳の生涯をとじました。1年半前に血液のがんである多発性骨髄腫であることがわかり、余命1~2年の告知の後、様々な治療によく頑張ってくれました。皆々様との良き御縁に恵まれ、実り多き日々を歩ませて頂き天寿を全うした父に代わり、心より感謝申し上げます。

 幼稚園の頃、ボール投げをしてくれた父。小学校の授業参観に来てくれた父。中学生の時、テストで100点をとった私を電話の向こうで褒めてくれた父。大学受験に失敗した時、下宿移動の際、膝を痛めながらも歩いて手伝ってくれた父。目を閉じるとたくさんの思い出が浮かびます。

 父は、剣道をもって子供たちの健全な成長を願い、地域活動を通じてささやかな社会への恩返しを考えていました。まじめに頑張れば何ごとも必ずできる、人は一人では生きていけない、困っている人には優しい手を差しのべる、全身全霊で周囲に尽くしていた父のそのような姿が私への教えでした。 普通の会社員でしたが、家族にも惜しみない愛情を注ぎ、本当に大切にしてくれました。

 生前、元気な頃の父と私は、ある約束をしていました。父に何かもしものことがあっても自分の患者を診ている現場を離れないこと。私はこの約束を守り、火葬の日も外来診療と在宅診療を東京で行っていました。3月3日に病床を訪れた時、舌の白苔が目立ち、私が舌の清拭をしました。苦いな!と言っていました。でも舌も唇も潤い気持ちがいいとも言ってくれました。翌日の3月4日に容態が急変しました。食事がとれなくなっていた父にとって、せめてもの活き水となってくれればよかったと思っています。最後の言葉は、意識がはっきりした瞬間の、「また来てくれや!!」でした。

 これからは、いつもいてくれたその場所では会えませんが、私のこの胸には父と綴ってきた沢山の思い出と、いつも見守り続けていてくれた優しい眼差しがおさめられています。

 「おやじ、ありがとう」皆さんから賜ったあたたかなお気持ちを伝え、今はただ静かに手を合わせます。

 父の姿 そのすべてが今の私を創ってくれました。

Vol.105 2012/2/15
当院診察は原則予約制に:内観、そして変えることにしました

 当院では昨夏以来、受付順番制を実施して参りました。

この制度によって結果的に長い待ち時間になってしまい、皆様にご迷惑をおかけいたしました。

 たくさんの建設的なご意見を、投書により、また時には口頭でいただき、私自身、年末年始にかけて内観して参りました。

 公平な診察順を主張する方々から受付順番制は推奨されました。それをスタッフ間でも話し合い、賛成総意となり、最終的には私の決定で受付順番制は始まりました。しかしスタートしてみれば、暑い日、寒い日にまで多くの方々を早くから外でお待たせしてしまいました。最も多い日には28人もの方が朝から待っていて下さいました。そしてこの並ばれた最後の28番目の方を診察し終わる頃には11:30を過ぎており、9時に受付された方の診察は12時頃となり、長い待ち時間を生ずる悪循環をつくってしまいました。いくら公平であっても、これでいいのだろうか? 忙しい若い方の他にも、ご高齢の方、付添いの方、お子さんもいらっしゃる。 自分がここで待つとしたら、自分の親を連れて来たとしたら、これで耐えられるのか? そう考えた時、私の心の叫びはダメ!でした。

 公平性は大切です。しかしここは“心と体を治す癒しの森”でありたいとの思いから創られたクリニックであり、それが私の目指す本来のものです。診察に入るまでの待ち時間を少しでも短くし、体調の悪い方がある程度優先されるそんな受付方法が最もあるべき姿であると思います。

 

来る3月1日から原則予約制に変更します。

 

しかし予約のない方も、もちろん診察致します。この方々は、ある程度の公平性を期すために受付をされた順番制といたします。体調のとても悪い方はこの範囲ではありません。優先いたしますので、受付スタッフにお声掛けください。

 私の医の原点は、病を治す“主治医”であるだけでなく、皆様のそばにいつも侍る(はべる)“主侍医”でいることです。これからもこの自分の医の原点の炎を燃やし続けていく所存です。

皆さん、どうかまた叱咤激励の程をよろしくお願いいたします。

Vol.104 2012/1/15
今はじっと耐える時  そして医の原点を活かし続けること

今はじっと耐える時  そして医の原点を活かし続けること

 新年になり、机の書類の山を整理していたところ、雑誌の見開き1ページにわたるエッセイのコピーが出てきました。

 どなたが書かれたものなのか、全くわかりません。(サインはありましたが毛筆による達筆であり、判読ができませんでした)おそらく高僧か、能・歌舞伎の名人がお書きになられたものと思われました。 しかし、読めば読むほどに、1年の初めにふさわしい、静かな、それでいて、とてつもない強いエネルギーが、私の胸に湧き上がってきました。 著者の方には、この場にて無許可で引用させていただく非礼をお詫びいたします。しかい是非 私のコラムの初頭を飾らせていただきたいと思います。(以下原文掲載)

 

『松樹千年(しょうじゅせんねんの) 翠(みどり) 静かな存在を見逃すことなかれ

 バラは百万本で歌になり、満開の桜の下では飲めや歌えやの大騒ぎ。流行を追うのと同じように、人は一過性の華やかな美しさに集まります。

 一方、一年三六五日変わらず緑を保つ「松」の樹は、話題にのぼるタイミングがありません。しかしその力強い姿と青々とした生命力は素晴らしいものです。

 「松樹千年翠」は、そんな松を讃えた禅語です。

 移ろいやすい世の中の現象に振り回されず、黙って命を活かしている存在があることに気づきたい。能舞台に描かれた松はどんな題目をも引き立てます。

 松はいつでも変わらぬ緑に見えますが、実は春には黄緑色の若々しく柔らかい新芽が出て、濃いグリーンの葉は順に茶になり落ちていきます。変わらぬように見えてもじっとしているだけでは現状を維持できない。松の目立たぬ変化は私たちへの教訓です。』

 

 今は医療界も混とんとしています。医療費節減のための大義名分のもとに始まった種わけ政策に端を発して、医療上でも様々な改変が起きています。3月からは、病名と薬処方の内容が合っていないと全額病院・クリニックが国にお金を返さなければならない突合と呼ばれる制度が始まります。私のクリニックでも、昨年は受付順番制の問題や、震災後の経営状況に伴う様々な節減などいろいろな問題がありました。

雪の松:1月中旬在宅診療で訪れた羽田の患者さん宅にて

 当院は今年、経営・人事(業務内容)ともにさらに無駄を省きます。

 そして昨年7月から導入した受付順番制によって結果的に長い待ち時間にしてしまった受付方法を、この春から予約制を基本とする新制度に改めます。

 さらに体調が非常に悪い方を診療前に看護師が容態聴取を行い、なるべく早めに診療に誘導する制度を始めます。

 具体的には石倉主任看護師に、重いご容態の方の症状をより早く把握してもらい、私からの指示に従って早急に必要な処置を施し、院内で可能な限り1階から4階まで動いて診る“メデイカル・コンシェルジュ”という役割をお願いしました。

 また訪問看護師としても私の片腕となって在宅診療の患者さんに接してもらうことにしました。

 皆さん どうぞ気軽に石倉コンシェルジュにお声かけください。

 いずれにしても、皆さんの傍に侍る(はべる)という、私の医の原点の炎を今年は静かに燃やし続けようと思います。

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