今年も暮れてきました。あっという間の一年でした。
谷村新司さんが作詞し加山雄三さんが歌っている有名な曲 サライが私は大好きです。
サライとは、仏教用語で、遠い旅の空という意味であるそうです。
歌詞の中の随所に私の心に沁みこんでくる言葉があります。
この街で 夢追うなら もう少し強くならなけりゃ
時の流れに 負けてしまいそうで。。。
また次のフレーズに次の詞があります。
離れれば 離れる程、なおさらにつのる
この想い忘れられずに ひらく 古いアルバム
若い日の 父と母に 包まれて過ぎた
やわらかな 日々の暮らしをなぞりながら生きる。。。
子供の頃から私は医者になりたかった。親戚縁者にだれも医者などいなかった家庭に育ちながら、なぜそう思ったのか、それは風邪をひいてかかった近くの町医者の先生がとても優しく、白い服を着てかっこよかったという、憧れからはじまりました。医科大を卒業したら地元の諏訪に帰ろうと思っていました。今、東京で開業していようなどと、全く想像すらしていませんでした。
自分の夢である、心に迫る医療をおこなう魂(たましい)外科医として世の中のために役立てるように、時の流れに流されながらも、もう少しここで頑張ってみようと思います。昔の写真を見るたびに、両親に包まれて育ててもらった日々を思い浮かべます。厳しく叱られた時もありました。鬼のように怒った親を、本気で憎んだこともありました。でも今は本当にやわらかな想いとしてよみがえってきます。穏やかに過ごしてもらえるように少しでも孝行ができればいいと思います。今年は、私の医師としての親父と仰いでいた師が急逝されました。育ててもらえたという事実に、実の親であっても仕事の親であっても感謝でいっぱいです。
来年は私にとって病を治す医師でいながら、心の中から病にならないよう考えていく魂(たましい)外科医の実践の年です。病は気から、まさにその通りです。ご一緒に心身とも健康になりましょう。
みなさん、よいお年を!! ブラボー & ブラビ
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私の通っていた下諏訪中学では、毎年11月の初頭に山道を駆け抜ける強歩大会なるものがありました。男子は21キロ、女子が15キロ位だったと記憶しています。小学生ころは走るのが嫌でいやでしょうがなかった私としては、中学に入ってこの話を聞いた時、今でいう引きこもり状態近くなっていました(実際は学校に行ってましたから、精神的な引きこもりでした)。しかし夏が終わるころ、むしょうにこの大会とやらに挑戦してみたくなりました。偶然スタート地点が実家のすぐ近くの諏訪大社秋宮でしたので、その日から毎晩、夜 スタート地点から5キロ位までにある山道を走り始めました。母親が、夜の山道を子供が一人で走ることは心配だと言ったのを覚えています。初めは呼吸の仕方、足の上げ方もわからず、なぜ?こんなことしなきゃいけないのか、問いかけてくるもう一人の自分がいました。純粋だったせいか(今も純粋ですが)、とにかくやらなくてはいけないからやる、走らなければ大会の当日自分が苦しいだけだから走ると、そのもう一人の自分を説得し、叱咤し、時には激励し走り続け大会当日を迎えました。結果は自分としては満足のいくものでした。それから2年生、3年生の時も11月の大会まで、10月からだいたい1ヶ月は毎晩走り続けました。懐かしい思い出です。
今でも秋の月をみると、当時走りながら見たススキの向こうで輝いていた、信州の冴えた月を思い出します。夜遅く在宅診療をしていても、あの月が今は東京の空から、頑張れと応援してくれているような気がします。
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沖縄にクリニックのスタッフと短い旅をしてきました。普段 大森を離れることができない自分としては、久々の青い海、青い空でした。
大自然の中では、いたるところでエネルギーを感じますね。大樹、石、砂浜。今回私は、なるべくこのような自然に手をかざし、裸足になり触るようにしてきました。掌からはその都度、何かが吸収されたように思います。
苦しくなった方、息づまってしまった方、薬を飲むことだけが治療ではありません。どうか、その時はどこでもいい、大自然の中に行ってそれを触れて来てください。そこから大きな大きなエネルギーを与えてもらえます。帰ってくる頃には自分が悩んできたことに何か方向付けをしてくれる一条の光を感じることと思います。薬はなるべく少なめ、そして大自然からのエネルギーを思いっきり吸い込んで自身の内部からの治癒力を目覚めさせることが、大切だと思います。
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九月は夏の終わりと、秋への移ろいを感ずる季節ですね。在宅診療をしながら、久々にきれいな夕日を見ました。トンボが飛んでいました。
夏はエネルギーを感ずる時です。誰でも力を感じ、熱くなり、その力がず~と続くように感じます。しかし、秋風が吹いてきて、その暑かった日々の終焉を予感させられたとき、人の気持ちには何故か寂しさと何とも言えないものがよぎります。諸行無常の響きあり、と伝えた平家物語。万物流転を語った方丈記。昔の人たちも皆、夏の終わりにこのような気持ちを感じたのでしょうか?
だからこそ、私たちは暑い日も寒い日も、桜の花咲く春、紅葉の秋、いつもいつも毎日を大事にして生きていかなくてはいけないと思います。借りものである私たちの体は、必ず朽ちるときが来ます。でも、その時が来るまで、調子が悪くなった体をその時々修理して、大事に使っていきたいものです。何もしないでいるとあっという間に、体が朽ち果ててしまいます。時間と体を粗末にしては、力強さを与えてくれる貴重な夏のギフトすら受け取るアンテナすら折ってしまうのではないかと思います。私はいつも、その体の修理屋さんとして皆さんの近くにいます。
夏 一瞬。みなさん、その時 その時を楽しんで、思いを込めて過ごしましょうね。
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往診車を毎日運転していると、いろいろな風景を眼にします。
その中でも、最近横断歩道を渡る歩行者に感じるものがありました。横断歩道に歩行者が渡ろうとしている時、運転手は当然停車しなければなりません。その時、歩行者が渡りながら、ちょっと会釈をしていってくださるとなんともいえないいい気分になります。その反対に、停車して、どうぞと手招きまでしているのに、全く無視、むしろ不機嫌な顔をしてにらみつけていかれた時には、とってもいやな気持ちになります。停車は義務ですから当然です。しかし、どうぞ!っと手で合図されたら、ちょっとでも会釈を返す、人として常識ではないでしょうか?
暑い中ですが、日常生活の中でのちょっとした挨拶が環境を変えていってくれます。 暑い中、少しでも頭を暑くさせないコミュニケーションは大切ですね。
残暑お見舞い申し上げます!!
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最近 あるかたから「先生、お医者さんの仕事ってどんなこと?」と聞かれました。ちょっと聞くと普通の質問のように思います。でもその方は、ご家族に非常に難しいご病気の方がおられ私にこの質問を投げかけてこられていたことにすぐ気づきました。その方はさらにたたみかけるようにこうおっしゃいました。「先生が一生懸命治療してくれればしてくれるほど、長生きにはなる。でも病院のベッドの上で生かされているだけのように思えてなりません。お医者さんは生かすことが仕事ですか?」
私は医者にはしなくてはならないことが3つあると思っています。
① 頑張って治療を続ければある程度回復される可能性が少しでもある方は、あきらめずに治療を続ける。
② どう見ても命が燃え尽き天に召される時が訪れていると見える方は、静かにお見送りをする環境を整えること。
③ 日常の医療に関する問題を解決するべく、その水先案内人になること。
①も②も医療の技術をみがくことは当然です。でも家族と話をすること、ご家族にどう気持ちを強く持っていただくかの説得これがとても大事だと思います。
まだまだ治れるのにもう延命治療したくないと諦めて全ての医療を放棄してしまおうとするご家族、逆にもうどうやっても助からない方に、意味を見出せない治療の継続を強く求めるご家族、どちらも患者さんを強く思うが故のお姿です。でもそのご家族にどう話しかけるか、医師の大きな腕の見せ場だと思います。
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初夏の気候を感じる中、昨今のニュースで残念な記事を読みました。それは、不況の影響か、全国各地での花火大会が、今年は何箇所もキャンセルされているというものでした。花火大会は夏の華、あの迫力と壮麗さで、夏を実感しパワーを得ることができます。歴史をひも解いてみると、夏の花火大会は、江戸時代に、飢饉と大火に苦しむ中、江戸の商人たちが景気付けに始め、庶民を喜ばせたことから始まったとのことです。
現在はリーマンショック以来、バブル期を上回る最大不況といわれています。花火のスポンサーとなる会社も協賛金の捻出がかなり苦しいと報道されていました。しかし、その一方で国をはじめお金の無駄遣い、不適切な使用がたくさんあるようです。お金は何のために使うべきなのでしょうか? もちろん、日々の食事・生活には必要です。
私たちが生きていく中で大切にしなくてはいけないことに、よく審・善・美というものがあると言われます。美しいもの、音楽、芸術、環境などに触れていると、人の感性は高まります。いいこと、わるいことの判断も、より容易にできる感覚が研ぎ澄まされます。
食と日々の生活に足りたら、お金はもっと世の中のよくするためにも、また社会全体の感性を高めるためにも使っていけたらいいなと中止になった花火大会のことを聞きながら考えてしまいました。
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先日、在宅診療を行っている患者さんから電話がかかり、急遽伺って診ると、全く生気がなく、暗いお部屋で一人で坐しておられました。 「先生、この腕から手が痛くて痛くて、もう我慢できない。もう死んだ方がいい! 近いうちに死にます!! ありがとうございました」と言って泣いておられました。この方は、何年も前に頸の怪我をされてから、両腕に激痛が度々はしる状態になっており、精神科にも受診を依頼しているほど、長年苦しんでこられた80歳くらいの独居の女性です。 続けておっしゃったのは「ヘルパーさんにも、先生にもみんなさんに迷惑ばかりかけて、本当に申し訳なくて、申し訳なくて・・・」と、そのあとは言葉になりませんでした。
私はその場でいろいろなお話をしました。私は、このような思いに苦しんでおられる皆さんに申し上げたいことがあります。 周りに迷惑をかける時は、かけていいのですよ。思いっきり周りの方のご厚意に甘えてよいと思います。そして、その優しさで元気になり、逆にその周りの方たちが迷惑をかけてきた時、今度はしっかりとあなたがそれを受け止めてあげればいい。 苦しい時は迷惑をかけたっていい。死んだって楽になれるとは限りません。ず~とあちらの世界で同じ苦しみを続けなくてはならないかもしれないのです。それより、今、少しでもお互いのことを思いあって、小さくても温かい手をさしのべることをやってみましょう。黙って手を握ってあげるだけでもいいと思います。その温かさに触れると少しでも楽になれます。難しくなんかないと思います。
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講演会があり久しぶりに御茶ノ水に行きました。さわやかな季節になったこともあり、神田川をはさんだいくつかの大学の新しい学舎が朝日に光っており、もとのニコライ堂側にある30年ほど前にかよった予備校も、とても懐かしく感じました。でも今ではすっかり近代的な建物が多くなっており、昔のフォークソングにあった神田川という曲が何故かあう街というイメージはどこかにいっていました。
過日知人から、浅草にある老舗の染物屋さんの手ぬぐいをいただきました。黒の地に、くじらの目だけをイメージした染抜きの手ぬぐいでした。
とてもシンプルな手ぬぐいでしたが、そこには「黒地に目だけを染め抜いて、鯨の接写とした発想が奇抜で新鮮。捕鯨に名高い熊野灘を洒落て、熊野染と称す。めくじらを立てちゃいけません.なんて、江戸の洒落言葉がきいています。」というメッセージが書かれていました。
30年前に、大学受験のために浪人し東京に出てきて、まさにめくじらをたてて勉強していたのがこの地。あの頃のことが、ほろ苦い思い出としてよみがえります。そして今でも日々の外来や在宅診療の中で、イライラしたり、落ち込んだりして、昔と変わらずめくじらをたてている自分に気がつきました。この手ぬぐいをくださった方が、めくじらをたてない、簡単ですけど難しいですね、と言っておられましたが、本当に実感します。人は血管とともに老いるといわれるように、われわれが病気になるほとんどの原因は血圧があがって動脈硬化をおこすことに起因しています。血圧が上がる原因には、食生活も遺伝因子もあるでしょう。でも、単純に我々がイライラして、イライラし続けて、血圧を上げて病気になってしまうのかなと考えてしまいます。病は気から、あぁおこりやんす~、ここにも江戸の人たちの風流が聞こえるようです。
浅草、神田、御茶ノ水は昔から東京の中でも下町、もっとも人情味のあふれる場所です。桜の季節が終わった今、間もなく三社祭が訪れ、初夏を迎えます。目にしみこむ木々の新鮮な青さを感じながら、我々ものびのびと、めくじらをたてずにいきたいものですね。いつも空から、この鯨さんがわれわれを大きな“眼”をして、のぞきこんでいるように感じます。
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よく耳にすることに、「私はそれ苦手なのでできません」「私はどうせダメですから、やりません」「やりたくても、お金もないし、やる気が湧いてきません」という言葉があります。人には確かに、得意・不得意、相性がいい・悪いがあります。その場に立つとどうしてもできないこともあります。でも反面、人には自分の得意とすること、長所、いい面が必ずあります。
自分が自分のある苦手な部分を否定してしまうことは止むを得ないと思います。でも自分にある、そうしたいいところをのばしてあげるよう、自分で自分を育ててあげることも大切なのではないでしょうか? それには、いやなことはしなくていい、でもあなたはこれが得意だから、あなたはこんないいところがあるじゃない? この得意なところ、いいところをもっとのばしてみましょう、と自分を褒めてあげてください。脳はほめられると反応して、ドパミンなどのやる気ホルモンをドンドン出してくれます。皆さん、この自分を褒めて自分のいいところをドンドン伸ばすことを最近忘れていませんか?人間だからダメなところがあってもいいのです。いいところに眼を向けることです。
職場でも、家族内でも同じことのように思えます。どうせわたしたちって・・・ではなくて、お互いのいいところを褒めあうことが欠けていると、どうしてもうまくいかないように思えます。大変だから、めんどくさいから、できないというような、あたりの良いエネルギーを消してしまう否定語を使わずいきたいものです。そして、周りの人の悪口を言わず、笑顔をわざと作ること。脳は面白いから笑うのではなく、顔が笑っているから面白いこと、いいことが起きつつあると錯覚して思い込んでしまうものなのです。全員で、一気にこの坂を上りきろう!と気合を入れると何故か乗り切れてしまいます。
一人でも、職場でもポジティブな言葉をわざと口から発してみてください。
言霊がそこにいます。 Yes, We can! オバマ大統領もポジティブ表現をしてAmerican Dreamをまたひとつ実現して見せてくれたではありませんか。
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先日、思いがけない一通のお便りを、ある女性の患者さんからいただきました。その中には、美しい梅の切り枝とともに、次のような 言葉が添えられていました。
戦い終わったあと
心地よかったほうが 勝ち
人生の勝負って
そういうものですね
正しいか、間違いかなんて 小さな思い込みに過ぎない
私のとるべき選択の基準は『心地よい』かどうか、と思います
たとえ、私がまちがっていなくとも
時には譲ることも必要
その場の自分を心地よくして
心が満たされれば
周囲の人にも優しくなることが出来る
正しい人になるよりも
愛ある人になるほうが もっともっと素敵だと
思いませんか?
この方は、会社を経営する傍ら、この数年来、ご家族の介護、ご病気、ご自身の体調不調と戦ってこられた50代の方で、苦しい中でも周囲の方々への気配りを常に忘れない方です。このお便りを拝読したとき、私はまた心が洗われた気がしました。譲ってその場の自分を心地よくして心が満たされれば、周囲の人にもやさしくなれる、とても意味ある言葉でした。
心地よいとは何なのか・・・? 皆さんもまた一緒に考えてみませんか?
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皆さん、2009年が明けました。凛とした空気の中で、この正月はいかがお過ごしでしたでしょうか? ある方はご実家で、ある方はいつものお住まいで、ある方は海外で新年をお迎えになられたことと思います。
昨年は9月のアメリカのリーマン・ショック以降、本当に暗い話が多かったです。私のところに来てくださる方々の中にも、職がなくなってしまった、冬のボーナスがなくなりショックを受けてしまった、等々で益々体調を崩されてしまった方が多くみられました。そしてそれ以上に、人の悪口、社会の悪口が出てしまう光景が世の中でたくさん見られ、いやなニュースも多く聞かれました。本当に、皆イライラが募っていらっしゃるようでした。
正月映画の広告を見ていて驚きました。1月半ばから、鎌倉時代の一人の僧侶、道元師をテーマとした禅(Zen)という映画が始まるそうです。その解説者の言葉の中に、「時の宰相北条氏が己の権力のために悪辣非道を尽くし、それでも自己を守るために突き進んだ結果、生きる目的を見失い道元に救いを求めたそうです。その時、道元は自分の権力を全て捨て、花月水を愛でる気持ちをお持ちなさい、それであなたは気持ちが楽になり、また生きる目的が見えてきます、と言って詠んだ詞があるそうです。
「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」
何か今のこの殺伐とした時を生きる私たちに共鳴するものがあるように思えます。 私たちは生きていかなくてはなりません。ですからただ花を見て鳥の声を聞いて月と雪を見ていては食べていけません。仕事がなかったら、体が健康でありさえすればどんな仕事だってできます。生きるために食べるためにガムシャラに働かなくてはいけません。しかし苦しくなった時、ふと立ち止まり、一息つく時間を持つこと、これが大切なのではないでしょうか? そうすれば、人や他人にきつい言葉を浴びせて、後でいやになる自分が少しでも減るのではないかと思います。一息ついて冷静になれば、投げ出さずにまた次の仕事に向かっていけると思います。
道元を生涯、師として崇拝した松尾芭蕉もこの詞の一部を自身の俳句に引用し、かの良寛さんもその辞世の句にこの詞を織り込み、はたまた 川端康成氏もノーベル文学賞の受賞スピーチでの冒頭で、道元師のこの詞を世界に向けて発信したと聞いて、私は新春からさらに深い感銘を受けました。
道元師が今の時代に街角に立っていたら、この世相を異様だとは思わないかもしれませんね。
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