院長コラム

2008年


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Vol.67 2008/12/15
また、あっという間の1年でした!

 皆さん、もう年の瀬ですね。この一年間は皆さんにとって、どんな一年だったでしょうか? お体をこわしてしまい静養された方、お気持ちがへこんでしまい苦しかった方、ご家族・ご友人・飼っているペットのことで心を痛めてしまった方。 僕は今年もまた、日々の診療の中でいろいろと考えさせられること、考えなくてはならないことに遭遇してきました。苦しかった日が多かったです。

 どんなに苦しいことがあっても、私たちは今この世で生きています。何のために生きているのかという根本的な問題が頭をよぎったとき、私たちは 生きていることの辛さを実感するのでしょうね。

 何故生きているのか? 何故 この世に生まれてきたのか?? 一人ひとりに与えられた目的は神様しか知らないのでしょう。私たちは 毎日毎日の中で、人に迷惑をかけて生きているものです。しかしあまりに自己中心的な個人になってしまっては、さすがよくないことだと思います。人を助けて生きることは一つの生きる目標であると思います。しかし人助けをどこまでしたら良いか、それがその方を甘やかしてしまうのではないか、皆さんも迷ってしまうことが多いと思います。自己中の人は、ひょっとしたらこの甘えの中から育ってしまっているのではないかと思います。

 思い悩むことは尽きません。でも 来年もまた 生きなくてはなりません。

 少しでも良い一年にしましょう!

 皆さん、よいお年をお迎えください。

Vol.66 2008/11/15
今、感じる在宅医療での疑問と実感

 毎日、在宅医療をしていますと沢山の方に会い、その中にいくつもの疑問と問題を感じます。

 

1) 入所施設への訪問診療のあり方について:

 施設を回った時、ここは病院ではなく自宅感覚のところなので白衣で来ないでください。また、日曜日などスタッフの手薄なときはお越しくださらないでくださいとの趣旨をわざわざmeetingを開いて告げられたことがあります。私は自宅感覚であるが故に、体調が悪い時は昼も夜もなく、曜日も関係なく在宅をすべきであり、医者が来たという緊張感を持ってもらうためにも白衣くらい羽織っても良いのではないかと思います。施設に入っておられる方は、在宅診療ではないのでしょうか? 私は施設が自宅と同じく優しい場所といううたい文句をイメージとして強く出してきている今こそ、入所しているお一人お一人を家族と同様と考えるならば、自宅と同じように在宅医療を受けられる体制を作って差し上げるべきであると思います。

 

2) 介護保険サービスのあり方について:

 年頃の娘さんと病気のお母様のお二人の家族(他に親戚なし)で、娘さんが全てを見切れる状態でなくても、介護保険では家族同居の場合には、たとえヘルパーなどのサービスがついても、やれることが極めて限られてしまいます。このお宅の場合など典型的であり、娘さんは片道2時間もかかるところに通勤し、病気のお母様は日中はお一人。手足がご不自由なため娘さんが帰っておみえになるまで夕食も食べず一人ぽっち。娘さんが帰ってきて夕食を作ってくれるまでお腹をすかせて待っていなければなりませんでした。ヘルパーさんに入ってもらい食事を作ってもらおうとしたところ、関係部門からは家族同居なので・・・などのサービスはできない。娘さんが帰ってからやってもらってください。実の母なのだから甘えてないできちんと母を診るべき、と冷たく言われてしまいました。実際、毎日遠くに通って遅くなる娘さんにそれができないから、娘さんが帰ってくるまでの介護を介護保険でカバーしてあげるのが、ほんとの生きた介護保険制度なのではないでしょうか?

 

3) 訪問看護のあり方について:

 現在患者さんは、訪問看護ステーションと契約書を交わして定期的に訪問看護を受ける制度があります。しかし、みなさんこの訪問看護ステーション制度は、週に何回ナースが訪れるという契約なので、熱が出たときだけ我々医師が、その患者さんの近隣の訪問看護ステーションに点滴をしに行ってくださいませんか?と依頼しても、連続的に定期的に訪問するという契約のこの制度下では、このような単発の点滴は受けてくれるところがないのです。結局、医師も他の患者さんの治療で手が離せない場合、その患者さんは、苦しい中、泣く泣く病院へ行かなくてはならなくなるのです。連続的に定期的に訪問する契約をしなければ、訪問看護ステーションの経営が成り立っていかないのはよくわかります。しかしもっと小回りのきく契約形態が並行してあっても良いのではないかと思います。

 

 ほんの断片的なことしか今回は書けませんでしたが、毎日の在宅医療現場では、医師、ナース、ケアマネ等の職種を問わず、困っていることが山積しています。山積み問題をどうにか解決していかなくてはいけませんが、“制度である”の一言で片付けられては患者さんが一番かわいそうなのではないかと思っています。とても心が痛んでいます。

Vol.77 2009/10/15
おたがいさまの気持ち  在宅診療の駐車について

 この半年くらいの間に、訪問看護ステーションの看護師さんたちの車が、警察の発行した駐車禁止除外車両の証明書を提示していたのに駐車禁止の違反をとられてしまった。それでも、罰金を払い減点されながらでも、また訪問看護にでかけていっている。なぜなら、患者さんのところに行かないわけにはいかないから、という内容の新聞記事を何回も眼にしました。最近も日経新聞(2008.10.27)にでていました。

 私自身もこのようないやな目に何回もあっています。(その一つについては、3年位前のこの院長コラムに、警察に抗議するとのタイトルで公表しました)最近思うことは、警察が型どおりにしかやらない以上、近隣の方々へのお願いの気持ちです。私自身が在宅患者様の近隣のお宅で実際に体験したことを今日は皆さんに二つ聞いていただきたいと思います。一件は、ぼくが何も言わなくても、○○さんのお宅に行かれるんですか? うちのここ、この時間はいつも空いているので、診療に来られたら車とめていいですよ。と言ってくださった方。もう一つは、患者様のお宅と隣の家の間の公道に留めたところ、そこの奥さんが飛び出してこられ、困ります!そんなところにとめられては!といわれ、翌週行ったところ、隣の患者様のお宅とご自分の家の間の公道に、赤い三角ポールを置いていました。事後談ですが、この飛び出して来た奥さんは、つい数ヶ月前に私の外来に初診として受診され、私の顔を見ると気まずそうなお顔をしてました。

 我々医療者は患者様の状態が少しでもよくなっていただきたいため、ご家族に少しでも笑顔が戻っていただきたいために昼も夜もなく在宅診療をしています。訪問看護師さんも同じ気持ちでしょう。これ以上、駐車禁止を警察が厳しく前面に押し出した場合、誰だって罰金は払いたくないし、免許証の減点はされたくないわけですから、我々医師も看護師も在宅に行けなくなってしまいます。ご近隣の方にお願いさせていただきたいことは、もしご迷惑でなければ我々の往診車を見かけたときに、是非ちょっとの時間でよいですので周りの空いてる場所がございましたら、往診車をおかせていただけたらと思います。

 どなたかの体調が崩れたときには、我々は必ず伺います。警察の堅苦しさととは別に、我々はお互いに体を大事にして、お互いに幸せになろうという気持ち、おたがいさま という人間の優しさを大事にしていきたいものです。

Vol.64 2008/9/15
フリーダム オープン

 9月の第一日曜日、私が主催するゴルフコンペ、第9回フリーダム オープンがありました。このコンペは全くprivateなもので、私の友人、昔からの付き合いのある会社の方で、今は転勤で遠方におられる方、患者さんなど60人くらいの方々がお集まりくださいました。

このコンペは10年前の1999、私が東京労災病院時代に、友人・知人と第一回目のコンペを開いたのが始まりでした。Freedomという名前の由来は、規制やいろいろな縛り、日々の苦しさに負けないように、心に自由“freedom”をいつも抱いてがんばろう、そこは 職種、職場の上下関係はなく、熱く燃える気持ちは平等だというものでした。翌年の2000年は、当時の厚生省の接待問題などの社会情勢から綱紀粛正の指示があり、我々のFreedomの趣旨とはうらはらに、泣く泣く第2回目は延期となりました。そして、その翌年、私のクリニック開院の年、第2回が開催され、以来本年まで続いているものです。

自由、この言葉はとても耳に優しい、いい言葉です。しかし私はいつもこの言葉は背中合わせに大きなものを背負っているとおもいます。それは責任です。 言い換えると、権利と義務です。個人の持つ自由という名前の権利ばかりを言い張って、自分のすべき責任と義務を忘れている大人・子供があまりにも多いことに驚かされる毎日です。

 自由・権利を主張して、責任・義務を軽視する傾向にある今、もう一度我々は、この自由・権利を考え直すべきであると思います。まず我々大人が襟を正さなければ子供の教育はほど遠いですね。

Vol.63 2008/8/15
天空からのメッセージ

 真っ青な夏空は気持ちよいものです。爽やかな夕焼けの雲海、満天の星空、それに満月の夜。皆さん、最近、大空を見上げたことがありますか? 私は子供の頃から、何かにつけて空を見上げるのが好きでした。私の生まれ故郷である信州では、昼の空に浮かぶ雲や夜空の星が、手の届くほどのすぐ近くに見えます。

 この夏、私の診察室から青空が見えるようになりました。ドーム型の天井から、薄い朝焼けか夕焼け雲が浮かぶなんとも美しい天空です。そこには、穏やかで、そしてやさしい天使が翔んでいます。壁画LABO(私のクリニックの壁画“ちあきの森”を制作された大野 彩 画伯主宰)の小野塚 香先生が2ヶ月かけて、私たちのために描いてくださった力作“天空からのメッセージ”です。

 診察に訪れる方々はそれぞれ苦しさ、辛さをお持ちになられてこの診察室におみえになります。そのためか、多くの方がうつむき加減でいらっしゃいます。無理もありません。この天空に浮かぶ天使に気づかれる方は殆どおられないように思います。

 私自身も、一日の外来が終え、夜の在宅診療から戻って来ると、ヘトヘトになっていることがよくあります。そんな時、この空を見上げると、何か ホッとします。明日につながる、気持ちのやすらぎがスーと私の魂の中に入ってきてくれます。

「壁画LABO」
小野塚 香

 失敗した時にだけ空を仰ぐのではなく、ふとしたときに遠い時空のかなたにある大空に目を向けると、元気になるエネルギーをもらえるように思えます。さあ皆さん、手を止めて、天空を見上げてみましょう。私のところにおみえになられた方は、どうぞ顔をあげて、私の診察室からの天空をご覧になってください。そこには あなたの心にしみこむメッセージを天使が奏でています。

Vol.62 2008/7/15
可とり線香  60点でいい

 皆さん 暑中お見舞い申し上げます!

暑くなりましたが、体調維持にはくれぐれも気をつけていきましょう!!!

 気持ちが落ち込んで、涙が自然にでてきてしまう。会社のことを考えると、つい行けず欠勤が続いている。毎日が苦しくて苦しくて、生きていたくない!! こんな気持ちになり私とお話させていただく機会をもたれる方がたくさんおられます。

いろいろなことが全てうまくいって当然と考えると苦しくなってしまうと思います。なぜ自分だけこんな目にあわなければいけないのか? 会社のあの人が悪いから、家族がおかしいからといろいろ考えてしまいますね。また、人は悪くないけれども、毎日の仕事量が多すぎて、自分の時間がもてない、ゆっくり休めない、もうどうしていいのかわからないと思ってしまうとき、ふと考えていただきたいことがあります。

 今、周囲の環境に自分がしてほしいことのすべてを期待していませんか? 自分自身に完璧を求めていませんか? 周囲に完璧を求めない、自分のノルマも全部やらなくてはいけないという気持ちをやめて、6割やればいいのだと考えを変えてみませんか?

苦しくなったときは、会社の仕事も上司に怒られない程度にやる、いやな同僚とは仕事上の最低限のことだけで接する。ご自分を取り巻く環境がご自分にいいように簡単に全て変わることはありえません。家事も最低限やる。たとえば主婦の方でしたら、ご主人が留守の間のすべてを切り盛りしなくてはいけません。それが積み重なって疲れ果てたときは、ご自分をみつめる内観の時をつくるために、slow downです。

 私がこう思うのは、けして元気なときもサボれと言っているのではありません。元気なときは、思いっきりがんばるのです。世のため、人のためとともに、自分のためにがんばるのです。そしてひとたび疲れてしまったときには“サボる”のです。薬は回復のための一つのお手伝いに過ぎません。私自身も毎日の外来・在宅診療の中で、苦しくなることが良くあります。そんなときは、頭の中から完全にそのことを忘れ去る時間をつくるよう、わざと、考えないよう無理に頭の中のスイッチを切ってしまうことをやっています。勤務医となった最初のころは、うまくいきませんでした。あたまがいっぱいになってしまうことも良くありました。それから25年、いまでもまだ“サボる”ことはへたくそです。でも、まあ大体でいいや、これくらいで、60点取れればいいやと思うようになれました。思い起こすと学生時代も、100点近くをとろうとしてがんばると、遊ぶ時間もなくすごく大変でした。60点でいいやとなると、結構、楽でした。95点、100点とって優・良・可の優を得たところで、医者になった今、何も意味がなかったことに気がついています。むしろ、60点、評価は可、でもあの頃、時間をつくってバイトをして遊んでいた中から得たものに今の診療の中で、人と接する基盤ができたような気がします。会社員の方にも、主婦の方にも、そして学生さんにも、私はこの“可とり線香”の考え方をお気持ちの中に入れておいていただきたいと思います。そして、61点とれたら大成功!そのとき心はきっと元気になっています。60点でいい! これを忘れないで毎日の生活に戻ってみてください。

写真家わかば 撮影

Vol.61 2008/6/15
あおいくま

 先日、在宅診療で伺ったお宅で、いいお話を耳にしました。

患者さんは80代の女性ですが、そのお宅のテレビの上に、手書きで一言『あおいくま』と書かれた古い額が置いてありました。私は なんとなくこの言葉が気になり、「これは何か、いわれのある額ですか?」と伺いました。その方は、嬉しそうなお顔をされ、「これは、子供の頃、戦争で疎開するときに、母が私に書いてくれたものです。どんなに苦しいことがあっても、この言葉を忘れないですごしなさいって言いながら手渡してくれたの。母の遺言書になっちゃったけどね。空襲で亡くなっちゃったの。

あおいくまの  あは、あせるな。 おは、おこるな。

いは、いばるな。 くは、くさるな。

まは、まけるな。

なんだって。 先生 簡単だけどこんな意味あるなんてわからないわよね。」

 なんと含蓄のある熊でしょう。我々も含めた今の世代の人に、これがどれだけ理解できるでしょうか? 町をわがもの顔で自転車で乗り回している若者。豊富な物質社会に生きていながら、弱々しい精神状態にある人々。こんな単純なことを忘れているのですね。

 私は何もなくても、純粋でたくましい人の息づかいを、その額の中に見たような気がしました。

Vol.60 2008/5/15
脳を鍛えること 脳トレ・サロン NPO法人 元気だ 脳!の開設にあたって

 成長するにつれて私たちの脳は賢くなります。子供は遊びから、学生は学業から、そして大人は日々の社会生活から脳が鍛えられる結果、神経細胞が教育され活性化しているからです。でも、歳を重ねだんだん高齢になり、社会での活動性が現役世代よりも減ってきた時、脳への刺激も並行して減少し、何もしないでいると脳の細胞は毎日毎日、相当の数が活動を停止してしまいます。そして、脳の活性が一定のところまで低下した時、認知症の発症と診断され、保険診療下での治療が始まります。

 現在の保険制度では、発症したと診断されない方には、“予防的な治療をしてはいけない”ことになっています。また、“発症して症状が出てから”でないと介護保険下で要支援とか要介護の認定が下りず、デイサービスなどの介護サービスが適用になりません。それでは、症状が出はじめているのに発症と診断されない場合(図の斜線のところの方)には、どうすればよいのでしょうか? まだ、認知症だと医者に診断されたわけではないから、このままでよい!と、見ていていいのでしょうか? 答えは明らかです。発症していないその時こそが、認知症予防のためのゴールデンタイムです。この時に、脳を鍛えなくてはいけません。

 認知症だけではありません。交通事故などで頭の怪我をしてしまった後、ご家族の名前がでてこない、私のこと誰か覚えてる?って聞かれても困ってしまう、目は見えていても右半分に注意がいかないために、前から来る方によくぶつかってしまう、大好きな場所だった所への行き方がわからなくなる高次脳 機能障害や、手足の動きが少しご不自由になるパーキンソン病の場合もあきらめることはありません。できるだけ早い時期に、できるだけ脳を働かすことで脳は再び活性化されて症状は楽になります。

 

 私たちは昨年11月から旧クリニック跡で、くどうちあきと鍛えよう 元気だ 脳!と称する脳トレセンター開設し、よいと考えられる様々な方法を取り入れて脳を刺激する試みをして参りました。このセンターは今年4月、東京都からNPO法人 元気だ 脳!として認証され、新たな活動が始まりました。

この法人活動への参加には、どうしても、材料費、講師代などに参加費(1回2500円~3000円くらい)がかかってしまいます。自費参加には、どうしても、お気のすすまない方もいらっしゃると思います。でも、医療保険や介護保険が適用されるまで待っていては、発症するのをじっと待っているのも同然ではないかと思います。

 

 元気だ 脳!は、脳の病気を診断された方だけが脳トレをするところではなく、診断される前の方こそが脳を鍛える場(サロン)です。脳は鍛え続ければ、そう簡単に機能は低下しません。

 

あきらめない! なげださない! 楽しく、でもある程度は頑張り続ける!

まけるな ちあきは ここにいる

 

NPO法人 元気だ 脳!

Vol.59 2008/4/15
春 桜の下で想うこと

 

 桜前線が北上し、現在 弘前城の桜が満開となっていると聞きました。私の故郷、信州諏訪も今頃まだ寒いながらも美しく桜色に染まっています。3月から4月は、卒業や進学など新たな活動が展開する時です。私自身にとっては、大きな変化はありませんが、この卒業の時期にいつも想うことがあります。

 医学部を卒業し研修医になった時、学位論文が完成し大学院を終了した時、脳神経外科専門医の試験に合格できたとき、いつもこれで勉強は終わりだ! やっと遊べる、これで勉強は卒業できた!と思ってました。そうすると不思議なもので、試験前に一生懸命覚えたものはどんどん頭の中から消えていく。消えていくような知識しか得ていなかったのか! 卒業とは忘れることの始まりなのか、などと考えてしまいました。

 この度、クリニックの近くにある東京衛生学園の学校長から学園の卒業論文集をいただきました。その巻頭の言葉として校長先生がお書きになられていた序文を拝読し、感動しました!!

卒業論文集によせて

学校長 後藤 修司

 

 世阿弥が聞き書きしたという「風姿花伝」の中に、「初心忘るるべからず」という言葉があります。 一般的には、物事を始めたときの端々しい気持ちを忘れずに、「今年は初心に帰って・・・」と言うふうに使われる事が多いようですが、彼の使った本来の意味は少し違っているようです。初心というのは、「ある時の水準」に至った状態を指し、当座の花とも言い表したそうです。つまり、声も身体も定まり、芸もある水準に至ったことで、一生懸命練習をし、厳しい修行の中で、ある技を会得したその時の気持ちこそ、初心なのだと言っています。それは完成ではなく、芸の内のたった一つの会得にすぎないのですが、しかし、そんな時、ともすると人は、周りからも一定の評価を得るし、自分でもかなりな所まで到達したと自画自賛し、向上する気持ちをなくしてしまう。長い修行中にふと訪れる慢心を戒め、芸の奥深さを後世に伝える思いがその言葉の中にはあったようです。

 

 医療の技術にしても同じことが言えます。卒業して何年か経った時、「初心忘るべからず」、この言葉の本来の意味も思い出し、更なる精進をして欲しいと願って止みません。ともあれ、卒業・国家 試験合格はあくまでも、専門職としての医療人への1つのステップであることを肝に命じ、生涯にわたり学び続けてください。

 卒業とは、自分がそれまで習得したもの極めたものをさらに磨くためのスタートであると私は思います。初心というものが「ある時の水準」に至った状態を指し当座の花であるのならば、その花をさらに美しく華やかに咲かせるように、栄養を与えて育て始めることが卒業の第一ページ。決して忘却の始まりではなかった。私自身を省みると、脳神経外科の知識・技術、患者さんと話すその術も、これでいいんだと慢心せず再び磨くために、この春、今までの自分を卒業しようと思います。

 桜の下で涙を流して卒業し、桜の元で新たな方向に進んだあなた、美しい桜の季節が訪れた時、あの時の熱き想いを忘れずに、さあもう一度一緒に進みましょう!

 

Vol.58 2008/3/15
ある恩師 逝く  -卒業と新学期のはじまりにあたって-

 私が小学生の頃、小学校で鼓笛隊の指導してくださった先生が逝かれて1年が経ちました。とても厳しく、とても優しい先生でした。そして鼓笛隊以外でも、いろいろなことを僕に教えてくださいました。一周忌の今年、奥さまから音楽式を行うので、何かメッセージをいただけないかとのご依頼を賜りました。

 教育の荒廃が叫ばれる中、子供への接し方はかくありき!と身をもって教えることの難しさを思いながら書いた恩師へのメッセージです。

 

 私は工藤千秋と申します。

 下諏訪小学校の4年生から6年生までの3年間、林先生が情熱を傾けられた“下小鼓笛隊”でお世話になりました者です。私は昭和33年生れですので、お世話になったのは昭和43年から45年頃でしょうか?

 以来、昨年の正月までの35年間、毎年、年賀状をいただき、私も近況を申しあげておりました。しかし、昨年末、奥さまからご訃報を伺い、驚きと共に熱く胸にこみ上げてくるものがありました。

 林先生が白い野球帽をかぶり、われわれにリコーダーの吹き方、鼓笛隊としての歩き方を教えてくださった御雄姿が、あれから35年経った今も忘れられません。私は鼓笛隊が編成されて初めてのトランペットを吹く大役をおおせつかりましたが、音すらでなかった時、先生が「わしゃ~のハスキー声のようだ」と言ってリラックスさせてくださったことを懐かしく思い出します。

 また、6年生の秋、NHKのリコーダーコンクールに参加すべく、特訓のため同級生3人で日曜日に先生のご自宅に伺った時のことです。モーツアルトのメヌエットをうまく吹けず苦闘していた私に、「わしゃ~、君のその、これでもか!これでもか!と頑張るところが君のいいところだと思う。その気持ち 忘れないでほしいな!」と褒めてくださいました。ほんの小さな小6の子供に、きちんと向き合ってお話してくださったこと、とても嬉しく思います。先生のこの一言が、現在の私の生き方の中核となったような気がします。

 林先生は、単に音楽のみをお教えになられていたのではなく、音楽を通じて子供たちの魂に、生き方、心のあり方を語りかけて下さっていたように思います。子供をきちんと育てられない今の時代に、先生は身をもって我々に、子供への接し方、教育のあり方を示してくださっていたように思えてなりません。

 私は今、東京の大田区大森で脳神経外科クリニックを開いています。私は病んだ脳にメスを入れて治すことを仕事としていますが、人を治すためにはメスだけでなく、人の心に語りかけなければならないことを痛感しています。在りし日の林先生のように、いつも心に語りかける魂外科医でありたいと思います。

 本日は奥さまからのお声かけを賜りながら都合により出席がかないませんでしたが、先生は今日も天上界で大勢の天使と共に、美しい音楽をかなでていらっしゃることと思います。林聖人先生、長いこの世でのお役目ご苦労様でした。私たちは先生の笑顔とspiritを決して忘れません。お教え有難うございます!

Vol.57 2008/2/15
光という文字

 石垣島に行ってきました。うわさには聞いていましたが、2月でもそのとおりの青い海と白い砂浜でした。なだらかな山を登ると八重山ヤシが茂り、地下に下りていくと鍾乳洞。スキューバーダイビングで海にもぐると、珊瑚や熱帯魚が気持ちよく泳いでいる異次元空間を目のあたりにすることができました。海底から海面を見上げた時のキラキラと輝く情景はとても美しいものでした。八重山ヤシは1年で大体3~4センチの成長をその樹皮の表面に定規のように正確に刻み、樹齢200年の樹があちこちに見られました。鍾乳洞では静寂な中に、気の遠くなるような時間を感じました。大自然は生きるエネルギーを、無言のまま、いっぱい私にくれました。太陽の光を体中にたくさん浴び、大自然に抱かれる大切さを再認識した数日間でした。

 帰ってきてから、現代レイキの土居 裕先生にお逢いしてお酒を飲みながらお話しする機会に恵まれました。天からのエネルギーを手から頭から一杯に受け地に戻し、そしてまたそのエネルギーを天に戻していくこと、これが大事な自然体。光という字は、これをまさに表しています。頭の両側に両手を広げて、太陽エネルギーを一杯に浴び、これを横棒で受け均等に振り分けて、下のル足では、一方でこのエネルギーを地に流し、また一歩では跳ね上げて天に戻す。とおっしゃっていました。

 八重山諸島はまだまだ柔らかな日差しでしたが、そこで得たエネルギーで 私はまた今日も元気に、往診と外来をできていると実感しています!!!

Vol.56 2008/1/15
キレル若人を考える

 新春のすがすがしい空気をうちやぶるように、子供が親・兄妹を殺した。そして火をつけた! 捕まっても平然としている。 路上での、ホームでの、学校での惨状が報道されています。悪いことをしたとの反省の表情も見られない。まさに、見猿、聞か猿、言わ猿になれたらと思います。

 

 私は若い人たちが昨今、簡単にキレル原因は2つあると思います。

 1つ目は、なんといっても親、親のしつけにあると思います。このキレル若人の親の世代は、まさにあの新人類といわれた子供たちが親になって、子供を叱りきれない、コントロールしきれないところにあるように思えてなりません。親になった新人類は何をしているのでしょうか? 学校給食費を支払わない、なんて親が屁理屈を言えば世の中OKと、子供に教えているようなものではありませんか。学校もそんな新人類の親の言いなりにならず、先生もある程度の範囲内でビシビシしかってよいと思います。新人類の親が先生を攻撃してきたら、教育委員会が何故守ってあげないのでしょう。教育者としていき過ぎた行動であったと謝る前に、その先生のとった行動は愛の鞭であり、親であるあなた方に代わって行ったのだ、不服があるなら家できちんと教育しなさいと突っぱねるべきであると思います。我々が子供の頃は先生になんどもたたかれ叱られていましたが、親は学校にもっと厳しくしてくださいといっていました。愛情をもって叱ると、感情で怒るは違うのです。

小学校卒業の時、校長先生がくださった大好きな言葉があります。

 

叱られて、苦しんで、

賢くなるんだよ、強くなるんだよ

どんなつらさにも耐えて

己のよさをみがくのだ

(下諏訪小学校校長 今村泰美先生)

 

 2つ目は、医学的根拠からです。神経細胞の活動を穏やかにする栄養の1つにビタミンB3(ナイアシン)があります。最近の社会では、どうやらこれが欠乏しているようです。イライラしてしまう方、すごく落ち込みやすい方に、このナイアシンを摂取していただくと徐々に気持ちが穏やかになっていくことを多数経験しています。神経細胞の栄養失調状態がキレやすくしている可能性があります。

 教育と栄養、この全く異なるものが人の行動を左右していることを認識し、我々は次世代の育成をどのようにしていかなくてはならないのか、考え実行する時に至っていると思います。

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