間もなく年の瀬です。今年の年頭コラムで、自分をさらけ出して生きましょう、一年があっという間に過ぎてしまうと書きました。本当にあっという間に過ぎてしまいました。今年は、クリニックの運営でもプライベートでも沢山のことがありました。そして、世の中でも色々な災害がありました。天変地異、航空機事故、船舶事故、そして民族同士の争い、科学研究の問題、目を覆いたくなること、悲しくなること、嫌なことが多かった年でした。
この一年間におきたことを考えると、偶発的なこととしてよいのでしょうか?必然ではなかったのかと思います。人のおごり、人類のおごり、どこかに何かの原因があったように思えてなりません。我々にはもっと気が付かなくてはならない何かがあったのではないかと思います。
天災への備えは常に心がけていくこと、当然です。人間同士の災いはどうしたら防げるのでしょうか?おそらく完全に防ぐことはできないでしょう。しかし、やはり我々は災いを少しでも減らすことを常に考えて行動をとることしかないと思います。
来る年2015はさらに大きく変わる年になるような気がします。人には心と英知があったはずです。我々は自分たちの力でその変化を少しでも減らし、よい方向にもっていかなくてはならないと思います。皆さん、少しでも良い歳にしましょう!
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秋口に往診途中、電柱を駆け登り電線の上を走る尻尾の大きいタヌキ(?)を見かけました。しかし、その後あちこちで突然同じような尻尾の大きいタヌキや、顔に模様のあるタヌキ(?)をみかけていました。
その後、大田区の区報を見て驚きました。尻尾の大きいタヌキ(?)と思っていたものがハクビシン、顔に模様のあるタヌキ(?)がアライグマであることを知りました。ハクビシン? 新型インフルエンザなどを運んでくるとの報道で耳にしたことがありましたが、まさか日本のこの大田区で、ハクビシンはアライグマに出くわすとは思ってもいませんでした。
家の壁穴から現れたり、威風堂々と夜ゆっくりと道を渡っている姿は実に可愛いものです。しかし今、古い空き家が多くなっている大田区でこのハクビシンとアライグマが大繁殖していることを知って愕然としました。人間社会への影響など正確なことははっきり把握できていませんが、とにかく大田区内で大繁殖ということは事実のようです。繁殖力が強力のため、やがて犬や猫などのペットへの影響、人への影響が懸念されます。
皆さんも身近なところで、尻尾の大きいタヌキ(?)、顔に模様のあるタヌキ(?)を見かけていらっしゃいませんか?
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小学校4年生の時、大好きだった担任教師の転勤があり、追っかけで信州下諏訪から木曽の開田村に連れて行ってもらいました。開田高原からは眼前に雄大にそびえたつ御嶽山が見えていました。5月の連休の時でしたので、ちょうど蕨とりに没頭し、信州の春を満喫し、御嶽山の懐に抱かれた様な気がしていました。
その穏やかな御嶽山が突然大噴火。快晴の青空をバックに噴煙が上がり、刻々と登山者に襲い掛かってきて、あっという間に辺り一面が真っ暗になってしまった。TV越しではありましたが、言葉を失ってしまいました。
犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。今年の日本は本当に天変地異の歳です。我々はいつどこで災難にあうかわかりません。
我々は毎日を精一杯込めて生きるしかありません。そして災害準備を怠ってはならないとあらためて思います。
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あっという間に家が轟音とともに流され、見るも無残な光景になった。家族の命も消えてしまった。現実に悲惨な自然災害がおきてしまった。広島の医師会仲間から、現場を訪れ言葉を失ったと聞きました。
この数年ゲリラ豪雨といわれる集中豪雨のことを耳にしていましたが、悲しい災害が起きてしまったこと、お亡くなりになられた方とご家族に心から哀悼の意を表します。
私自身、現在医師会で災害救急を担当していますので、もし我々の大森で、地震・津波のみならず、多摩川、吞み川の洪水による大氾濫があったらどのようにしたらよいのか、その対策に悩んでいます。本門寺に近い池上通りのバス停車場付近で、100㎜近い雨が降った日、ちょうど付近を往診していた私の車もあっという間にドア近くまで浸水し怖い思いをしたことがあります。幸いなんとか本門寺側に登り難を逃れましたが、もし反対側に走っていたらと思うとぞっとしました。
備えあっても憂いは常に付きまといます。それでも我々は備えを固めていく努力を怠ってはならないと思います。この秋、大森医師会では二つの病院で、区民とともに初めての災害救急訓練を行う予定です。広島で亡くなられた方々、ご家族の皆様のことを忘れずに、沢山のことを学んで1つでも実行していこうと思います。
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かいがいしく飼い主の横で階段を登る盲導犬が刺されたとのTV報道があった。なんとひどいことでしょう!犯人の弁など聞くに値しません。
盲導犬は痛みを与えられても、決して鳴き声をあげないよう訓練されているそうです。それだけに刺されてお尻から流血しても、決して鳴かなかった、鳴けなかった犬のことを考えると、人間はいったい何をやっているのかと言いたくなります。
人間は日頃うっぷんがたまり、イライラした時、動物をいじめ弱者へのやつあたりになることが多いようです。しかし、ものを言えない動物や弱い者いじめは絶対にいけません。
人間に従順で安らぎを与えてくれるペットを大切にして可愛がり共生していく、人間がすべき絶対の義務であると思います!
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集団的自衛権についての論議が盛り上がっています。間もなく国会で結論が出るでしょうが、我々はこのテーマをどう考えたらいいのでしょうか。
昔、英国に留学していた頃、スイスからきた医師と、自国を守ることと、医師として命を守ることを話し合ったことがあります。彼の国は軍隊をもち、成人男子は皆徴兵、そして事が起これば国のために戦うのだと意気高々にいっていました。しかし、自国からは決して他国を攻撃しないとも。
日本には攻められたら、やはり自分の国を守る組織が必要であると思います。しかしそれが自衛隊だけで足りるのでしょうか? 危機が迫った時に、いつまでもアメリカを頼みの綱にしていいのか、またそのアメリカが攻められたとき我々が戦いを挑んでよいのでしょうか、やはりよくないでしょう。ここでもし日本が軍を組織しても、他国を自分たちから、先に攻めてはならないと思います。
スイスのように、自国に自衛軍を組織して、決して他国を攻めないこと、それが最も大事なことであると思います。命を失うことになる可能性が高い戦争は起こしてはならないと思っています。
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新聞・その他報道にて、認知症の方が運転をして事故を起こしていることを耳にします。 運転ルールがわからなくなってしまうためか、一端停車をせず出会い頭の事故、ひとをはねてしまう、道順・道路標識がわからなくなり一方通行道路、高速道路を逆走してしまうことなどです。また てんかんの方々が、運転中に発作を起こして歩道に突っ込んでしまう。目を覆う事故も何件かありました。
運転手の皆さんも其々生活が懸かっていらっしゃることはよくわかります。しかし一度、事故を起こしてしまい、他人に重大な結果を与えてしまうと、お互いに取り返しがつかない不幸な人生になってしまいます。
認知症の方々の運転に関する法整備がこの度されました。てんかんをお持ちの方々も、ある程度何らかの法整備のもとでの運転規制をしなければ危険であるように思えてなりません。薬の血中濃度が十分である検査結果とか、脳波での安定性を示すなど具体的なものを提示し、ドライバーの方ご自身も安心して運転ができる環境つくりが必要であると思います。
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曽根綾子さんの「自分の始末」という本を読みました。だんだん年齢を重ねていくなかで、さまざまなことを積み重ねていきます。それらを自分で軽くして年を重ねなること。それが人生の中で行わなければならないことであると書かれているように思えました。
僕自身、たくさんの積み重ねがありました。今この時、自分自身も他の方への迷惑を最小限にして、人生の中でレセットしならないことをresetして、人生の後半に向かっていこうと思いました。皆さんこれからもよろしくお願いいたします。
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TVを見ていましたら、デパ地下などで営業時間終了間際の惣菜の扱いを特集していました。今まで、デパ地下などでは売れ残った惣菜は、惜しげもなく廃棄処分にしてきたようですが、最近、終了時間直前にあるNPO法人がデパ地下の総菜屋を回って売れ残りになりそうな惣菜を回収し、これを食事の足りない施設に回しているものでした。
飽食の時代を経て、食べ物の貴重さを知らない我々にとって、考えを新たにしてくれるこのNPO法人の活動に感動しました。世の中にはまだしっかり食事をとれない人がいるという現実と、日々の惣菜の扱いを有効利用するなどということは私などには考えも及ばないことでした。
これを機に、遅ればせながら、チャイルド・スポンサーシップという子供たちへの寄付活動に僅かながら参加することにしました。
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三月上旬に父の3回忌があり帰省しました。法要の終わりの頃、御住職が話された説話が心に響きました。
「皆さん、ご先祖様の数を考えたことがありますか?ご先祖様というと、祖父母、曾祖父あたりのことをまず思い浮かべます。でもまず10代くらい前まで、さかのぼって考えてみましょう。1世代を30年としますと、10代で約300年前、ちょうどその頃は太平の江戸時代です。あなたが今ここにいるのは、あなたのご両親がいて、そのまたご両親がお二人ずついて、さらにそのご両親がお二人ずつと考えていくと、2、22、23・・・・210、つまり、2人が4人、8人、16人、32人、64人、128人、256人、512人、1024人となり、この300年の間に1024人のご先祖様がいたことになります。そのどなたか一人でも欠けていたら、今のあなたはいらっしゃらない。大飢饉もあったでしょう。大火も大地震も大津波もあったでしょう。今ほど医療も発達しておらず、お寺の過去帳を見るとお子さんの戒名が異常に多かった時代です。そんな時代をくぐり抜け、1024人のご先祖様が成人に達するまで生きて生きぬいてくださったために今のあなたがいるのです。まさに奇跡であり、そのありがたさを感じます。大切な命なのです。
来月8日、4月8日はお釈迦様の誕生日です。お釈迦様は生まれるとすぐ7歩あるき、右手で上を指し左手で下を指し、天上天下唯我独尊と言ったそうです。天上天下唯我独尊とは、現代ではややもすると自分が一番偉い、自分だけが一番尊い大事な存在と解されがちですが、本当の意味は、天上すなわちあの世でも、天下すなわち現世でも、あまねく全ての一人一人の命が大切なのです。
ご自分が今生きていることの意味、この300年だけでも1024人のご先祖様がいてくれた意味を考えてみてください。」
この説話を聞き、江戸中期の300年前で1024人でしたが、例えば武田信玄が諏訪を攻めていた約500年前、つまりさらに5世代前を考えると1024人が2048人、4096人、8192人、16384人、32768人、なんとあの戦乱の時代といわれた時代から考えると、3万2千余人以上のご先祖様が生きてくれたから今の自分がいる。戦乱の世で、この3万2千余人以上の中の、どなたか一人でもいなかったら今の自分はいなかった。そう考えたらとても驚きました。500年前の戦国時代以降などは時代劇でしかしりませんが、その中に、お目にかかったことのない自分の先祖がこんなにもたくさんいて、大切なのは、その中のお一人でもいなかったら、今の自分はいなかった!
父の法要での説は、まさに父が語りかけているように思えてなりませんでした。命を大事にして今を生き抜くことの大切さを改めて考えました。
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デイケア 元気だ脳! の送迎中に、運転していた当院スタッフが、交差点一時停車違反で青切符を切られたとの報告を受けました。報告では、一時停車の位置では交差点の左右がよく見えなかったので、少し前に出て止まったところ、一時停車線をやや超えたところでつかまった。その時の警察官の言い分は、一時停車したことは認めるが、停止線を越えているから違反である、とのことでした。
私も現場を往診時よく通りますが、自分で運転していても停止線では交差点の左右が見えないところです。この交差点だけでなく、とかく世の中の一時停止線での停車では、交差点の左右がよく見えず、危険なところが多くあるように思います。皆さんいかがですか? よく見えますか? それで停止線を越えて止まれば、一時停車違反であるとなればどうすればよいのでしょうか?
私は止むを得ず単純なことを提案したいと思います。一時停車違反の反則金をとられたくないので、見えないことはわかっていても、交差点ではまず一時停車線で停止する。次に交通安全と自分を守るために、少し前進して左右の見えるところで再度停止して左右の安全を確認する「2段階停止」をお勧めしたいと思います。
この方法で実際運転してみますと、意外に私も運転のストレスが減ったことに気が付きました。皆さんで是非「停止線 2段階停止」を実践してみませんか。
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毅然として死ねない人よ。
それでいいではありませんか。
人間をこえた大いなる天、大いなる命
は毅然として死ななくても
そんなことは問題にしないのだ。
神― 大いなるものは表だけでなく、
我々の裏の裏までもよく
ご承知なのである。
・・・・・・・・・・・・・・
自分の立派なところだけでなく、
弱さ、醜さすべてを
神という大きなものに委ねること
・・・・・・・・・
久しぶりに遠藤周作氏の作品を手に載ってゆっくり読んでみました。
ここに載せさせていただいた言葉は、この1~2行目をズバリタイトルとした海竜社からの本から引用させていただきましたが、年を重ねてきつつある現在、何度読んでも、私の心に深く大きく響いてきます。この言葉は、キリスト教の世界観の中から生まれた言葉であるそうです。私は無信仰者ですが、この含蓄の深さを年の初めに心に新たな息吹として吹き入れました。
我々はいい面も、悪い面ももっています。いい面を少しだけ多く増やすようにして生きること、それができればいい。悪いことでも、他人に迷惑をかけないようにしていけば、許されるように思えます。法に触れることはもちろんいけません。では悪いこと、醜いこととは、なんでしょうか?物欲に走り続けて、自分を見失う時ではないでしょうか。
人間なのでそれでいいと思います。この世を生きていくために必要な“物”です。物を追求する自分をさらけ出して、生きましょう。ただ、人の迷惑にならないように。今年もきっとあっという間に過ぎてしまうと思います。さらけ出して生きることは、きっとつらいかもしれません。恥ずかしいことも、悲しいこともあるでしょう。でも、私自身も、これを今年の目標に一年頑張ってみます。
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