新聞を読んでいましたら、隠岐諸島ではご高齢の方をこう呼んでおられるとのことでした。
今年一年、クリニックには沢山の方が来院されました。そして多くの方々を往診してまいりました。しかし残念ながらその中から何人ものご幸齢の方々が旅立っていかれました。
一つのタヒと書く、この段階にいたる時には、幸せな齢を重ねてこれたと感じられるようでありたいと願わざるをえません。
良いお年を。。。。。。。!
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クリニックもお蔭様で、満4歳になりました。最近、街角のポスターで、「子供は夏が来るたびに、大人は秋を迎えるたびに、また一つなにか大切なものを身につける」という見出しを見かけました。子供の頃は、確かに夏休みがきて、毎日外で遊びプールで真っ黒に日焼けして9月に学校へ行くと、校長先生から「また皆さん、ひとまわりたくましく大きくなりましたね」と言われたことを覚えています。あれから40年ほどの年月が流れた現在、時の流れが疎ましくなるほど速く感じられ、夏の訪れよりも紅葉の美しさに目を奪われる秋こそ、歳をとることに対して憂愁にも似た、もの想いにふけるようになりました。
最近では、抗加齢作用、アンチエイジングという言葉が広く使われ、学会までできています。人は昔から不老長寿の媚薬を求めてきましたが、現在のところ医学的には、寿命をつかさどる遺伝子時計は確実に時を刻み続けています。おそらく抗加齢作用のあるものは、この時計を少しだけ遅らせてくれるものと思います。問題は肉体的な加齢に対しての内面的成長とのバランスだと思います。肉体的に若さが保たれれば、心も若さを保つことは可能です。しかし反対に、肉体年齢を抗加齢作用で遅らせても、こころの未熟さが目立つ場合です。心と体はバランスよく歳をとることが大切だとつくづく思います。
我々は霊的な経験をしている人間ではない。人間的な経験をしている霊なのである。T.D.チャーディンのこの言葉は、年の瀬を迎へまた一つ年を重ねることにささやかな抵抗をする、我々人間の心に静かに響きます。生かされ、生き抜くことの素晴らしさを感じ、天に感謝したいと思います。
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私の患者さんでご不幸にもご逝去された方の奥様から、とてもよいお話を伺いました。ご主人の遺灰をペンダントとtableにおける置物の中に入れてもらう方法をとったとのことでした。費用も30万円くらいだったそうです。
考えてみるに狭い日本で、高いお金を出してお墓を買う現在の習慣は現代にマッチしているのでしょうか? 立派なお墓をたてることが最も大事でしょうか?
私は形式は重要ではないと思っています。大切なのは、いつどこにいても、その方のことを想って語りかけてあげることこそが、最も大切なご供養であると想います。そのためには高価なお金をかけずとも、いつでも身近で亡くなられた方を偲べる方法をとれば、それでお墓の代わりになるのではないかと思います。先祖代々のお墓が遠い場合、ますますではないでしょうか? 年に1回、その遠くのお墓に参拝するよりは、毎日その方を思い出していてあげていた方が、逝かれた方は喜ぶように思えてなりません。お墓の購入ばかりをしていると、いつか日本はお墓だらけになってしまいます。
その奥様がおっしゃられた、いつも一緒にいれて嬉しいです、という言葉と笑顔が忘れられません。
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百二歳の大往生
4年前から、在宅診療を行っている、身寄りのないおじいちゃんがおられました。少しお耳が遠く、脳の活動も年齢なりの低下がありました。でもお住まいとなっているホームに伺うたびに、私の顔を見るとニコッとされ、私が「いい血圧ですね」と申しあげると、大きな声でハッキリと、「先生 ありがとうございました。ありがとうございました!」といってくれました。今年の初夏の頃、体調がすぐれずある総合病院に検査入院したところ末期がんであることが判明しました。それからは日が堕ちるような、あっという間の経過をたどられました。ホームに最後に診療に行った晩、「わかる?」と私が聞いた時、もうろうとした意識の中でも、わずかながらいつもの表情に戻り、うんとうなずいてくれました。旅立ちはその6時間後でした。静かに眠るような百二歳のお顔でした。
この方は、身寄りのないと書きましたが、音信のないれっきとしたご家族がいたとのことでした。しかしホームから連絡しても最後まで、どなたもお見えにならなかったと聞いています。最期まで何晩もいく晩も睡眠時間を削って、家族同様の、それ以上の面倒をみてこられた、ひ孫くらいの年齢にあたる、赤の他人のホームの方が流した涙が美しく見えました。ここまで親身になってくださる方が近くにいてくれて、このおじいちゃんはきっと孤独ではなかったと思います。
命をなんとも思わなくなっている人が見受けられるこのごろですが、ただ生きるのではなく、生き抜くことが大切だと思います。私はお焼香をしながら、「人生を全うされ、おめでとうございます!」とつぶやいていました。
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最近の医療は救急医療、高次先端医療などで、どの面を見ても欧米に引けをとらなくなっています。私の専門とする脳神経外科なども少し勉強を怠ると何のことだかわからなくなるほどの速さの進歩です。
私の医者としてのデビューは、錦港湾の対岸に桜島を抱く、鹿児島市立病院脳疾患救命救急センターでした。毎日救急車で、脳出血や脳梗塞、頭部外傷の患者さんが運ばれてくるところでした。指導医のもとに一晩で3件のくも膜下出血の手術をしたこともありました。今思うとTVでみるERのような感じでした。イギリスに留学中には、重症パーキンソン病を手術で治すために、中絶胎児の脳の一部をパーキンソン病の患者さんに移植する外科治療に携わっていました。当時、世界でも覇を競っていた英国の移植チームであり、日本では技術的にも倫理的にも不可能な最先端の高次先端医療でした。手術前に救急車で運ばれた患者さんが、この移植手術を受けた翌年には、エディンバラからバーミンガムまでの7時間の道のりを、自分で車を運転して再来受診に来たのには感動しました。
そして私は今、脳神経外科的にみた医療の水先案内として、医学的なアドバイスや高齢者の在宅医療、心のケア外来にシフトを置いた医療をしています。今まで手術に重きを置いて治療した患者さんが3ヶ月を限度として転院していった後の患者さんの状態を見ています。当時と正反対の世界を見ているようです。
以前「がんばらない」の本をお書きになられた鎌田實先生(元諏訪中央病院長)が、攻める医療と支える医療のバランスが大切であるとおっしゃられたことがありました。先生が意味された支える医療とは、その人のもつ人生観にあった医療を医者が示すことであったと記憶しています。わたしはこれにもう1つ、最先端の反対に位置する医療も、非常に深い意味のある医療であると実感しています。
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私は仕事柄、毎日何人かの人と接します。患者さん、ご家族、スタッフ等々です。
いつの頃からか、年齢、性別を問わずこの方たちから感ずることがありました。それは、年齢に関係なく、体から発散されるエネルギーの差異です。とてもポジテイブなエネルギーを発散されている方、反対にエネルギーをネガテイブに使ってしまう方。この差は、どこからくるのでしょうか?
知人に30代半ばのある職種の先生がおられます。この先生は、とても輝くオーラを発散されています。伺ってみると、我々の常識を超えるようなさまざまな苦しい経験をされたとのこと。その都度、もっと輝いていたいと自らに語りかけられていたそうです。反対に同じように沢山の苦難に遭遇した同年齢の方がいました。この方は、お会いするたびに、どんどん顔から光が消えしわが増え、肉体的にも不眠をはじめさまざまな症状がでてきました。そしてその原因を、ご自分を取り巻く環境、子供、配偶者の責に全て転嫁してしまっていました。
人間は聖人ではないので、だれでもダークサイドに堕ちることがありますが、それゆえ人間らしくて好いと思います。しかし少なくとも、このお二人のような差が、時間経過とともにオーラに現れてくるのではないかと思われます。 いつも輝いていたい! そう思い続けると発散するエネルギーは更にさらに輝きを増すと思います。自分の心に余裕がないとそんなことは思えないので、結局突き詰めて考えると、我々に必要なのは、また誰もが欲していることは、この心の余裕なのではないでしょうか?
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最近TVで相撲界のごたごたが盛んに報道されています。どちらが正しいかなどということは当人同士しかわからないことであり、公共の電波を使ってまで何故ここまで騒ぐのか、放っておけばよいのにと思います。このことで先代の名力士の晩節が汚されたようで気の毒でなりません。
人間誰でも、たたけばほこりが出るもの。それを皆、内に抱えて生きていき、この世を去る前後でちりをたたき出されてはかなわないですね。これでは誇りがホコリに変わってしまいます。亡くなった後の問題はほとんどの場合が、遺産相続であり見苦しいものです。
人間引き際が大事とよく言われますが、人生の定年だけでなく、職場の定年を迎える時、退職する時等々、それぞれの節目は爽やかにいきたいものですね。現状にしがみついて、少しでもお金と物を持っていきたいという物欲本位の態度が見えたとき人は醜くなります。
うつ、睡眠障害、やせすぎなど、ひょっとしたら神がその時、この心の醜さを形として我々人間に表現しているのかも知れませんね。
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最近スピリチュアルヒーリングをおこなう江原啓之さんと美輪明宏さんの舞台を見て、本を読みました。我々は守護霊さんの言葉に耳を傾けて自然な気持ちで生きていけば、もっと輝く、美しいオーラを発することができるようです。
日常生活を振り返ると、対人関係の中でいかに物を巡ってのトラブルが多いことか、最近とみに思い知らされています。お金をはじめ、物欲に走ってしまうと本当に見苦しく、顔の表情まで変わってしまいます。私も、どうしてもよくならない方、対人関係に苦しんでる方、スタッフ、いろいろな方に遭遇してきました。でも総じて考えてみると、問題のその奥に、この物欲による根本的な歪みが存在していたように思えます。
人間、誰にも本能からくる煩悩があります。でもこれを少しでも減らして自分の良さを磨いていこうとするのが人間ではないかと思います。本能の声に流されてしまうと、魂の求めるものとは遥かにかけ離れた違うところに行きついて苦しんでしまうのではないでしょうか? 魂の求めるもの、魂の声が何であるのか、我々は日ごろの忙しさに押し流されず、いつもこのことを自分に問いかけることを忘れないで活きたいものです。 少しでもそれができれば、江原さんと美輪さんがおっしゃる我々のオーラが輝く時であると思います。 自分の今のオーラが何色か、自分でも見えたらいいですね!!
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先月4月のある日、私は在宅患者が急変したため大森東の静かな都営住宅街を急遽往診しました。ハザードランプをつけたまま、そのお宅を訪れ患者さんの緊急処置をして、ご家族と今後の急変のことを話し、点滴をとりに往診車に戻ったところレッカー移動されて車がありませんでした。私の車は、病院名と連絡先電話番号、ただ今往診中と大きく書いた表示を掲げていました。しかもハザードランプまでつけていたのに。。。。
私は大森警察に行き、交通課長に2時間、夜また係長が事情聴取に来院したので2時間ほど、通常往診ではなく人命がかかった診療であったこと、人命と道路交通法と緊急時にはどちらが大切かということについて抗議(講義?)しましたが受け入れられませんでした。警察が言うのは、「駐車違反除外証を何故もらわなかったのか。 横断歩道の横3メーターのところに止めていては歩行者が危険、明らかに違法!」と言うだけでした。私は開業時、除外証を申請したにもかかわらず何故か却下されたままであり、その理由を聞いても、「後に文章で回答します」との大森警察署長の返答があっただけで、そのまま4年間が経過しています。除外証を提示せよと言うのなら、車を使って往診をする医師全員に、自動的に除外証を交付すべきであると考えます。
今回のことで容態が悪化された患者さんが気の毒でなりません。警察はいろいろなことがあり、あったのでしょうが、時と場合の状況を考えない四角四面の法遵守を警察の建前とし続けるならば、私は往診車をレッカー移動されたくないので、警察署員及びその家族が患者となり、命を助けてほしいとの緊急懇願があっても救急往診に行きたくありません。それは警察の自業自得なのではないでしょうか?
警察はもっと、状況にあった血の通った法遵守をすべきであると、私は強く抗議します!
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私が月に何回か訪問診療で伺う80歳代の男性がおられます。もともと高血圧、糖尿病があり、脳梗塞を患われてから私の在宅診療が始まりました。この方は、大正の気骨を十分感じる紳士、言葉を変えれば、腰が少し曲がった頑固オヤジを地でいっている感じです。奥様と二人住まいで、酒もってこ~い! 飯はまだかあ!と怒鳴ってしまう、勝手気ままに生きているなというのが私の第一印象でした。私が伺っても、よお~!、ある時は、なんにも用はないよ、今日は!? と言ってしまう始末でした。そんな状態のため、何度言っても私の処方薬はまともに服薬されず、体調も右肩下がりか水平状態の維持がやっとでした。
しかしこの方は、剣道がお好きとのことで私も剣道をやっていたことを話すと、手合わせを頼もうと言われ、ある日、道に出て竹刀で切り返しを5分ほど一緒にしました。それ以来、私が伺うたびに晴れた日には切り返しをすることを楽しみにされるようになり、私もこの方の診療のメニューに切り返しを入れました。後に奥様から伺い驚いたことですが、竹刀を持ちはじめてから、生活がいきいきとし始め、怒鳴ることが減ってきたとのことでした。
人を治すために我々医師は、検査を行い薬を使い、時には手術を施します。でも私はこのご老人と接しているうちに、我々の持つ医術は人と接する一つの方法であり、それは一緒に体を動かして何かをしたり、お話したり、歌を歌って気持ちを癒すのと同列のものではないかと思うようになりました。人を癒すために、一緒に怒り、涙し、励まし続けたという赤ひげ医師の目指したものが少しだけ理解できたような気がしました。私も近い将来、お寺の中にでも診療所を開き、最新式の西洋医学と東洋医学を施す医療をする一方で、境内で竹刀をふり、境内の畑を共に耕せるような、全人的に人と接する場を作ってみたいと思います。これを夢・幻に終わらせたくないものです。
このご老人は今もご健在であり、私にパワーを下さってくれている方です。
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この言葉はいろいろな意味を持っています。病気を治す、傷をなおすこと。給料をもらうこと等。調べてみると、イエス・キリストが盲目の女性の目に手を当て治したことや、釈迦が腹痛で苦しんでいる患者さんのお腹に手をじっと当てて癒したことなどが起源のようです。
私は毎日の診療で、傷の治療をしたり手術したりすることが本職ですが、時には患者さんと共に自分の胸にも手を当て、自分自身を癒すことをやっています。医療の発達していなかった時代の手当てとは、ひょっとしたら ハンドパワーによる心の治療だったのかもしれません。
私にはこの手当てすると言う言葉は、薬漬けの現代医学を省みさせる言葉のように聞こえてなりません。
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年末に偶然見たTVで 瀬戸内寂聴さんがおっしゃっておられました。「バラを摘むと、トゲが刺さって血が出る。でも若い人はすぐ治るのだから、躊躇せず怖がらず なんにでも手を出さなくちゃ。たくさん経験して、たくさん苦しんだほうが死ぬ時に、ああ、ほんとによく活きたと思って逝けるでしょう。いつも逃げていたんじゃ、貧相な人生しか送れませんわよ」 とても心にしみるお話でした。ちょうど往診の最中でで、ご高齢の方を診ていたときであり、そのご家族とともに、若さと老いの間に境界があるのかと話し込んでしまいました。
サミュエル・ウルマンはその代表作の詩『青春』の一節に、
「青春とは心の若さである
信念と希望にあふれ
勇気に満ちて
日に新たな活動を続ける限り
青春は永遠に
その人のものである」
と書いております。
昨年11月に当院では認知症(昨年までの痴呆症)について勉強会をしました。その映画の最後で柴田恭平さんが演じる息子さんが、認知症のお父さん(財津一郎さんがふんする)を抱きかかえながら、「ずっと親父は乗り越える目標だったのに、どうしてこうなっちゃったんだ!」と泣きながらつぶやいていました。自分が子供の頃見ていた、若き日の父がこんなにボケてしまって、帰り道もわからず徘徊してしまう、何でも食べてしまう、どこでも排泄してしまう。親父はこんなに老いてしまったのかという悲しい涙だったように思います。 たおやかに新しい年が始まりました。心の若さを失わず、毎日元気に活動を続ける限り、寂聴さんが言う薔薇は摘み続けられると思います。挑戦することを忘れずに。。。
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