院長コラム

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Vol.19 2004/12/15
痴呆症から認知症へ

 もの忘れが始まってしまった時、本人もご家族もとても心配になってしまいます。この1年間、私自身も往診に出かける時、クリニックにカルテを忘れ出かけてしまいスタッフに笑われたり、往診宅に血圧計を忘れボリボリ頭をかきながらとりに伺ったりで恥ずかしい思いを何回かしてしまいました。

 日常生活に支障をきたすもの忘れを自覚した時、早く受診し治療を始めればなんとかなるもの忘れがあることを、もしもの時のために覚えておいてください。そしてほんとに痴呆症になってしまってもけしてあきらめず、少しでも進行を遅らせる治療を続ける努力をしていきましょう。

 一歩一歩ですが、私は来年も皆さんと一緒に痴呆症の治療にあたっていきたいと思います。来年から痴呆症という呼び方から認知症という言葉に変わります。しかし求めるものは同じです。ご家族がもの忘れで悩んでおられる方も元気を出して一緒にがんばりましょうね。

 それでは皆様 よいお年をお迎えください。

 

Vol.18 2004/11/15
くどうちあき夢舞台 第4章の幕開け

 今年も年賀状の声が聞かれるようになりました。私の1年は1月から10月までです。11月、12月は新年のための準備時間と考えています。時の速さは、いまさら言うまでもありませんが、私にとって今年は「いまこの時を活きる、今頑張らずにいつがんばる!」という、中学の修学旅行で行った大徳寺大仙院の尾関宗園師の言葉がテーマでした。丁度、今月11月14日で当院も開院満3年を迎えることができました。これからも患者と医者という垣根を越えた、人と人の関係を大切にした医師であり続けたいと思っています。

この新聞を読んでくださった尾関氏からの、初秋にいただいた身に余るお言葉をおかりして、4年目に向けた私の所信とさせていただきます。

 

 『素晴らしいお手紙を頂戴して光栄至極に存じます。お蔭様で72才から拾年減る(とうねんとる)一般人をお手本に私の場合は20年前の己の未熟さそのまま丸出しで生きて行こうと千秋院長先生からのお励ましで良いお智慧を授かりました。「今ここで頑張らずにいつ頑張る」のくどうちあき脳神経外科クリニック退院全快者全員に金メダルを授与されたら院長コラムの文章が更に生きるのではないかと、金めだるのくどうちあき脳神経外科クリニックを提案します。大仙院 尾関宗園拝上』

Vol.17 2004/10/15
弱者救済?

 先日、交差点で出会いがしらに自転車と接触事故を起こしたタクシードライバーが来院されました。自転車は無灯火でしかも携帯を見ながらだったそうです。前方不注意でこのドライバーの方は罰せられ、結果的には休職となり、うつ状態になってしまいました。

 私自身も在宅診療で車を運転していると、ヒヤッとすることが何度かあります。特に夜、携帯メールをしながら無灯火で、平然と右側通行をしてくる自転車。ぶつかりそうになると、私をにらみつけてきます。今の法律では、一度自動車と自転車が事故を起こすと、自転車のほうが弱いものとして、ドライバーを罰する弱者救済の原則があるそうです。しかし、ルール違反をしている自転車を一方的に弱者として救い、ドライバーのみを罰するというのは正当なのでしょうか?

 近頃では、自転車による事故が急増していると聞きます。しかもその大半は、上記のようなルール違反がかかわっているようです。わたしはこのような事故に巻き込まれてしまった方を診察する際いつも思います。真の弱者救済の原則を行政も医療者も真剣に考えて、国民への教育を徹底すべきではないかと。

Vol.16 2004/09/20
去りぎわ あとを濁す

立つ鳥あとをにごさず。。。。
 

 昔から職を辞す時に言われてきたことである。

患者さんに不愉快な思いをさせたことや当院との価値感の違いから退職者が出た。ご自分の価値感に合うところを探して、さらに活躍されることを望む。

 しかし、その去りぎわの醜さにはさすがに私も唖然とした。後任者に申し送りをするように言われなかったから申し送りを一切しない、機械はマニュアルをみればわかること、機械の会社に聞けばわかること等々の言いわけにはその人格を疑う。

 人はそれぞれ育ってきた環境が異なり、当然それぞれの価値感も異なる。職場ではそれを治すことなどできはしないのだから、価値感のあうところを探して働くことがそれぞれの幸せであると考える。あとを濁さない常識をその価値感の中に入れてもらいたいものであることを痛感した。

Vol.15 2004/08/15
残暑お見舞い申し上げます!

夏休みを利用して久しぶりに故郷の長野に帰って参りました。

好物を食べて英気を養うことが出来た気がします。

故郷の山河の緑の青さに当時が懐かしく思い出されました。

母校の小・中学校・高校にも足を運んでみましたが、沢山の思い出が蘇ってきて、心なごむ時を過ごすことが出来ました。

「夏草や岩にしみいる蝉の声」

皆様も暑さに負けず一緒に頑張りましょう!

残暑お見舞い申し上げます!

Vol.14 2004/07/08
訪問診療で思ったこと 痴呆高齢者の受け入れ体制

 自営業をしている息子さんご夫婦が91歳と86歳のご両親を介護しているご家庭に伺った時のことです。ご両親は残念ながらかなりの痴呆症で、頑固で周囲に耳をかさず、今のことすぐ忘れてしまう、風呂に入らない等、介護者を困らせるお二人でした。週二回訪問していた私自身も伺う度に「あんたは誰? 何しに来た?」と聞かれる状態でした。

 ある日訪問したところ、非常に暑い部屋の中で、お父様は机に座っており、奥様は気分が悪いとのことで服のまま布団にくるまって寝ておられました。当然ながら汗でびっしょりでした。そこで息子さんご夫婦に室温調節をお願いしたところ、ヘルパーさんも先生も、いつもこうしろああしろと私たちに押しつける。私たちも仕事がありいつも見てられない。お嫁さんは涙を流して訴えられました。限界だと思った私は、ショートスティを勧めたところ、ご主人から、何度も利用したが、夜中に興奮する、暴言があるとのことで時間を問わず迎えに来いと言われる。何のためにお願いしたかわからない。二度と利用しようとは思わない。先生は現場を知らない。訪問診療にはもう来ていただかなくて結構、と言われました。

 私は痴呆高齢者の受け入れ体制についての現在の典型的な問題点が、ここに浮き彫りにされているように感じました。痴呆のある方の受け入れ制度について、私も微力ながら世の中に働きかけていきたいと思います。

Vol.13 2004/06/11
まんまるな笑顔

 たくさんの方たちに接する私はいつも思うことがあります。それは笑顔には不思議な力があるということです。

 人にはpositive(楽天)思考の方と、negative(マイナス)思考の方がおられます。楽天的な方はいつも物事をいい方に考える。笑いが絶えない。マイナス思考の方は、いつも悪い方へ悪い方へと考えて、顔が曇ってしまう。医学的に見ても、笑うということは免疫力を高め体力をつけてくれることが判明しています。逆に気持ちが沈んでいつも深呼吸ができないでいると、免疫力も落ちてしまいます。

 私自身も気持ちが落ち込んでいるときも多くありますが、当クリニックでは仕事中には“疲れた、忙しい”という言葉をスタッフ同士言わないようにしています。これはギリギリな状態で仕事をしていると、この言葉が発せられた瞬間に、周囲の人々の力もマイナスにしてしまうからです。反対に、お互いに苦しくても、笑顔を忘れずジョークでも飛ばせると、みんな元気になります。

 お疲れさま! がんばっていらっしゃいますね。笑顔でこう言えたとき、自分自身にも周囲にも大きなパワーが伝わると思います。笑顔が、薬一錠分以上の力を発揮する時です。 

Vol.12 2004/05/20
反面教師

 最近 いろいろなことが世の中を騒がせています。事故にテロ、戦争。。。 もっと身の回りにも、日常茶飯事のごとく人と人の問題が生じています。家族内の問題、職場の問題、友人同士のこと、考えてみれば、いいことよりも嫌なこと悪いことの方が多いように思えます。

 私自身も日ごろの生活の中でもいろいろなことに遭遇しています。振り返れば、不動産屋にだまされ大借金をさせられたり、信用していた同僚に裏切られ告げ口されたり、理不尽なことを組織から押し付けられたり、その他諸々、ひどい目にあってきた記憶の方が多いように思えてなりません。

 人は一人では生きられないと言われます。しかし良いことならいいのですが、自分が苦しんでしまう嫌なめにあったとき、何を学んだらいいのでしょうか? 私はそのような状態に置かれたとき、自分自身はそうしないようにしよう、そうならないようにしようと思い、それと反対の行動をとるようにしています。(とはいっても、私も人間、イライラすることも多いのですが。。。)

 目前にある万物全てを師と仰ぐ宗教家がいらっしゃいますが、嫌なことに遭遇してしまったとき、そのことが自分にそうはさせないよう語りかけている反面教師と考えてみてはいかがでしょうか?

 一番いけないのが、やられたからやり返すというのであると思います。

Vol.11 2004/04/15
セカンドオピニオンとその方法に思う

 調子が悪くて病院へ行く。検査を受け診断してもらう。治療はこうしましょうといわれる。でも 本当にそうか心配である、納得いかないこともある。このような時に、セカンドオピニオンの名の下に、他の医者に意見を求めることが最近増えてきています。私自身は、このセカンドオピニオンは非常によい風潮であると思っています。

 しかし、その方法にはまだ問題があると思われます。患者さんが他の病院に行って、また同じような検査を繰り返してしまうことです。同じ写真を撮り、同じような検査を受ければ、その都度、患者さん自身も、また国の医療費もかさみます。放射線を浴びる量も増えます。セカンドオピニオンを求めに他の医者に行く場合には、前医よりそちらの検査結果(その要約でもいいですね!)と紹介状を必ずもらい、次の病院では新たに必要なものだけを行うというシステムを日本でも確立していかなくてはならないと思います。

 しかし患者さんのご心境に、 前医に申し訳ない、あの先生 怒るから言い出せない、なるものがあることも確かです。でも今は患者さんが医者を選ぶ時代、怒る医者はもう相手にしなければいいのではないでしょうか? また セカンドオピニオンは、ご自身の治療方針を決定するための意見を聞くだけですから、けして前医を裏切るわけではありません。

 無駄の多い日本の医療の中で、少しでもセカンドオピニオンの芽を育てていくために、患者さんも医者も一緒になって考え実行していかなくてはならないと思います。

Vol.10 2004/03/15
子供たちとの会話

 ある日、お母さんと7歳になる男の子が相談に訪れました。「先生この子、自分の手と足をかんで、皮がむけてしまっているのですが。。。」

 私とその子との会話が始まりました。僕、海で泳ぐタコ知ってる? うん知てる。タコの足は何本ある? 8本だよ。タコは自分の足食べるんだよ。自分の足食べちゃったから、足が8本になっちゃったんだよ。僕も自分の足、食べちゃうと足がだんだん4本、5本と増えちゃうよ。 へえ~(少しびっくり顔になる)! 先生、イカは? イカだって同じだよ。自分の足食べちゃうから、あんなに足が多くなっちゃったんだよ。10本もあるんだよ。ふ~ん! じゃあ先生、イカがタコの足を食べたらどうなるの? 僕、お母さんの足や先生の足、食べる? 嫌だよ、お母さんの足なんか水虫がいるもん。お腹いたくなっちゃうよ。そうだね、僕の足にだって、水虫がいるかもしれないから、足の皮食べるのやめようね。。。 その子は大きな目をキラキラと見開いて帰っていきました。しばらくしてから、その子から今日は楽しかった、先生にありがとうと言っといてという電話が入りました。

 少し前に、すぐにキレル子供のことが社会問題となりました。最近では、赤ちゃんや子供を虐待し"キレする親"のことが報道されています。私は子供を躾けることと、鍛えること叱ることは異なるものであると思います。幼いときに、親が子供に夢を持たせるような会話をたくさんして、大地に深く根を張らせるようにしてやること、そして根が張ってから鍛えるために寒風吹きすさぶ社会に出してやる。これが教育の基本のように思えてなりません。ただ怒鳴るだけでなく子供を納得させる話し方をすることが親の責務ではないでしょうか? 苗木の根がはる前に冬の寒空の下にさらしたらすぐ枯れてしまいます。もちろん他人に迷惑をかけるようなことをした時には、厳しく叱らなくてはなりません。

 キレル子供や親の報道を耳にするたびに、私は世代から世代へ繰り返される家庭内の環境に思いがいってしまいます。

Vol.9 2004/02/15
受験に思う

 2月半ばといえば、受験生はセンター試験後の瞬間的な休息もつかの間、真剣勝負が続く時です。しかし先日2月10日付けの新聞調査によれば、大卒の就職内定率は過去最低の73.5%であり、4人に1人はフリーターであるとのことでした。4年制大卒の就職率が9割以上であったのは古き良き時代。混沌とした今の時代に、なぜ大学受験をしなければならないのか?と悩む受験生が多いのではないかと思われます。

 日本では昔よりいい大学に入ればいい会社に入れる。給料もよく一生保証される、という考えがありました。少なくても私の世代では、そうでした。しかし終身雇用制が崩れ、堅い仕事の代表とされた銀行も倒産する現代、親も受験生もこのような考え方は既に今は昔の言い伝えになってしまったことを強く認識すべきであると思います。ただ大学に入っても、4人に1人は職がない、将来自分はこうありたい、こうなりたいからこれを学びに大学に行くのだという目的がなければ、大学進学は無意味であると思われます。

 現在仕事をしながら休日や夜間、自分の将来の像をしっかり夢見ながら大学に通っている方々も多いと思います。目的のある人は、目の輝きが違います。しかし一方では、従来どおり大学に入ることだけが目的になってしまい、入ってからはひたすらバイトと遊びに明け暮れて、やっと卒業する若者が多いのも事実ではないでしょうか? 私は日本も外国のように、高校卒業の時点で一度就職して世の中を見てから、自分はこれを勉強したいと本当に思った時に大学を受験できる制度にしてみてはどうかと思います。学歴だけを求めた学ぶ気のない学生がいくらいても、日本の将来は決して豊かな文明国としては約束されません。

 現代病といわれる心の病になってしまう方の中には、明確な目的意識なしに世に押出されようとした時、心のささやかな抵抗を感ずる方もいらっしゃるのではないかと思います。

Vol.8 2004/01/15
はじめの一歩

(30年前の京都にて)

 いま、この時を生きるんや。

 今、やらずにいつやる。

 ちょっと待って、あとでやるから、、、

 これではいつまでたっても始まらない!

 

 私が下諏訪中学3年の春、修学旅行で京都に行ったときのことです。名跡を巡り紫野にあるお寺に入りました。そこで和尚さんのお話があるというので、同級生一同が大挙して待っていたところ、勢いよく禅衣をひるがえした御坊が入ってきました。尾関宗園師(大徳寺大仙院住職)でした。大きな声、大きな目、大きな体格、その体全体から発せられるエネルギー、今でいうオーラでした。

 生きている時間は限られており、生きたいと思っても残念ながらその思いがかなえられない方もいらっしゃいます。私も日々の診療に追われ惰性に流されて時間を意識しないでいると、自然界の四季の移ろいにも気がつきません。日常生活の中には、なかなか気が進まないことがたくさんあります。何かをしなくてはと思ってもすぐ行動に移せません。そんな時、今年はとにかくまず足を出し、手を動かして、はじめの一歩を踏み出してみようかと思います。踏み出してみてだめだったら、そこでまた考え直してみればいいのかと思います。まず一歩、これが踏み出せれば、二歩目、三歩目はすぐですね。

 あれからちょうど30年、新春のすがすがしい空気の中、尾関禅師の躍動するお顔が今も私に語りかけていらっしゃる気がします。師のご健康をご祈念しつつ。

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